それからはあまり記憶にない。


息子が泣いてたかどうかも記憶にない。

ただふわふわしていた。




児童相談所の人が2〜3人で家に来て、、

そのあと、どうなったんだっけはてなマーク



本当に、

その部分の記憶がずっぽり抜け落ちてるのだ。


どうがんばっても、全く思い出せない。




ただ、

「自分でこうして連絡してくれる親御さんは珍しい」的な褒められてるんだか、貶されてるんだか分からん評価をもらえたことは覚えている真顔





とにかく、私は児童相談所に息子と行った。


どうやって行ったのかわからない、

たぶん、児童相談所の車で送ってもらったんだろう。





児童相談所の人に事情を話したら、

わけわからん書類に同意せよと言われ、

息子はほぼ強制的に一時保護ということで、どこにあるかも親には知らされない乳児院へ預けられることになった赤ちゃんぴえん



頭の中にわたあめみたいな霧が溢れてて、

全然全く物を考えられなかった。麻酔されたみたいに。。




安心も不安もなかった。

ただ、死にたいと思った。




夫の反応も全く覚えていない。

たぶん、大した反応はしなかったんだと思う。





そこから、何回も児童相談所に通うことになり、

児童相談所の人と面談を繰り返した。




相変わらず息子はどこにいるのか知らされなかったが、私の状態が安定していると判断されたのか、

少しすると児童相談所の中でのみ、決まった時間だけ面会が許されるようになった。





いかに私と児童相談所の人が面談を繰り返したところで、当事者たる夫が話し合いに入ってないんだから、全くもって意味のない話し合いであった。

今思うに、無意味すぎて滑稽なレベル。




何回も何回も「平日の昼間、ここに夫を呼んでこい」と私に要請する児童相談所の人だが、夫はそれでも仕事を優先した。



夫が仕事を優先にするという判断をしている以上、

私にいくら「夫を呼んでこい」と言ってもそれは私にもどうにも出来ない問題だと、児童相談所の人と押し問答になった。



そりゃそうだろ、夫と私は元々赤の他人であって、

夫は私じゃないし、私は夫じゃない。

何言ってんだ、児童相談所。。私じゃなくて夫に言えよ、と魂が抜ける魂





そのうちに夫も仕事をあらかた片付けたのか、

息子との面会に2回に1回は来るようになったが、

児童相談所の人には「はい、ええ」か「いいえ」の2択しか話さないという心の閉じっぷりであった。





でも確かに、児童相談所は浮世離れしている。



「仕事をやめて、転職できませんか」

「お父さんも家庭を第一にして、仕事はセーブするように上司に掛け合ってください」

「お父さんはお母さんの代わりに仕事を優先的に休んで、家事もしてください」

「お母さん(実母)にも、いつでも来てもらえるように仕事を辞めてもらってください」





「親なんですから、これくらいは簡単ですよね?」





あまりにも傲慢ちきな言い方に、

さすがの私も違和感を感じた。。



いやいや、待て。

夫や私が転職した後、低賃金で飯食えなくなったら、

あんたらが食わしてくれんのか?

実母も実母の生活があるんだけど、それはどう考えてる?って聞いたら、

「うーん、それはあ、また別の問題で」だと。







結局、児童相談所の面談には1回きりしか現れないというつわものぶりを遺憾なく発揮した夫であったが。



何を聞かれても、提案されても、命令されても。

夫は「私の仕事は、妻と子を食わせることです。今のままでは満足に食わせられない。我慢してもらう他ないのです」としか一貫して答えなかった凝視

その鋼の精神力に乾杯。。




そして、毎日毎日変わらず仕事に行ってましたし、

息子の面会にも出来るだけ時間を取ろうと努力し始めていて。



夫の立ち振舞いには、

「ここまで来るとあっぱれだな驚きアセアセ」とさえ、

私も呆れを通り越して尊敬みたいな感情を抱くようになり。。




その代わり、

あまりにも傲慢な言い方が目立つ、児童相談所に不信感を抱くようになっていった。


ホルモンバランスを整えるために通っていた、私の産婦人科のカルテを私の許可無く開示請求していたことが分かったり(産婦人科から確認の電話が来た)。

「これは同意できかねます」と私が言った事柄に対しても、「知ってます。でも同意してください」、、、同意って言葉の意味知ってるか凝視




子どもの安全を守るのが、

児童相談所の責務だとは知っている。 


助けを求めたのは、私だということもわかっている。



ただ、今後も子どもを育てるのは親であって。

「親なんだからこれくらいやって当然でしょう」と、

親を追い詰めても何の解決にもならんどころか、

事態は悪化するばかりだと私は思うがね。。



子を守りたいなら、まずとにかく親のフォローを。

私は学んだ。






この不毛な堂々巡りを繰り返していくうち、

私の状態が戻ったことと実母のサポートを受けられる体制が整ったので、息子は乳児院から自宅へ戻されることになったのであった。。






ここまで、

めっちゃ早送り再生でお送りしました⏩