一年を越えて緊張の糸が緩んだのか、会えない触れられない現実がまた胸に重くのしかかってきます。


自責と後悔の沼に潜り込みそうなとき、度々救い上げてくれる娘の笑顔の写真すら、会えないことを再認識させられるようで、ここ数日は見るのがつらい。小鳥の声を聴いても、ちょうちょに会っても、どうしてあなたは居ないんだろう、会えるまでどうやって生きていくんだろう、と思うばかりで。

 

そんな今日の夕方、ふと目に入った軽いネット記事のタイトル「連絡帳にパパが書いたコメントが笑える」云々。

「、、、そうだ。」と思い出しました。

 

 

去年の今頃、ありえない現実に憔悴し起き上がれないわたしが、横たわったままでむさぼるように読んでいたのは、娘の保育園の頃の連絡ノートでした。なぜか無性に読みたくなり、収納から引っ張り出してきたのでした。

育休明けで入園した7か月から卒園まで、毎日毎日先生とわたしがやり取りしていたノートたち。娘の愛らしい姿、行動や言葉、成長した実感、病気になって大変だった日常が書き留められていました。10年以上経って忘れていたことばかりですが、確かに娘が居た日々が15冊にギューッと詰め込まれた、わたしの宝物です。

泣いて過呼吸になりながらでも、読んでいる間は心が休まりました。当時、延々と繰り返し読みました。

今思えば、あれは最初のセルフグリーフケアだったように思います。

 

 

今日また少し読み返してみて、気持ちが少し和らぎました。保育園ノートのことはしばらく忘れてしまっていたのに、どうして今日のタイミングで思い出せたんだろう。何度読んでも新鮮に感じます。

 

あの頃、バタバタして毎日必死だったけれど、本当に「天使」と暮らしていたんだな。ちゃんと愛を残してくれていた娘にありがとう。毎日その愛を書いて残した先生と、過去のわたしにもありがとう。おかげで今、助けてもらっています。

つらい時は、また、このノートたちにも頼ろうと思います。