今朝、教育虐待の記事を新聞で読んで、ざわざわが止まらない。

睡眠時間を削って勉強をさせたわけではない。できないからと言って叱ったりはしなかった。

けれど、公文と英語とピアノ。わたしの子供の頃とは格段に違うボリュームで、しんどい思いをしながら頑張らせてしまったのだと思う。しんどいときにしんどいと言えない性格の娘なのに、小中の間、当たり前のように続けさせていた。送迎のときに先生が褒めて下さったり、発表会で立派に演奏する姿を見えることが親として嬉しかった。わたしの気持ちは満たされたけれど、娘はいっぱいいっぱいだったのかもしれない。


娘のしんどさについて心当たりがあるのは、家の飾り棚の陶器の小さな動物たちが、いつの頃からかよく寝転んでいたこと。わたしが気がついて立てて並べても、またいつの間にか寝転んでいた。最初は、ねんねが好きなんやね、くらいに思っていた。ある時から、娘自身が疲れて休みたいのかなと気がついた。けれど、積極的に対応しないままだった。


中3の夏頃、微熱が出るなど体調を崩した。英語を数ヶ月休んだ。すでに限界まで頑張っていたのかもしれない。



わたしは、頑張ることを静かに強制していたのだと思う。そして、敏感な娘は一生懸命応えようとし続けた。頑張ることを自身に課し続けた。頑張れない自分には価値がないと思わせてしまった、、、


うつと診断されてから、ポケモンのカビゴンを見て、「こんな子でも生きてていいんやねぇ」と微笑みながらつぶやいていた娘。わたしは一緒に笑ったけど、それでも娘の心の内を理解しきれなかった。


いくら悔んでも悔やみきれない。

もっと楽にして良いよ、がんばらなくても大丈夫よ、と伝えるのがわたしの仕事だった。娘の特性を理解せずにしんどい思いを続けさせたことが、病気の発症に繋がったのだと思う。どうしても苦しい。

娘がいない現実は哀しいけど、あの頃の娘の心情を思うことが何よりわたしの心臓を締め付ける。



娘を喪って苦しんでいる現実は、自分で招いてしまったこと。

どうしようもないこの気持ちをどうにかして生きていくしかない。



ここにいらっしゃるみなさんの力、知恵をお借りしながら、何とか向き合っていくしかないのでしょう。