もう年も明けて2週間経ったけれど、

なかなか書けずにいた昨年末のことを

忘れたくなくて、おくればせながら書いてみます。

 

年末、第九を歌った。

 

春先に合唱団員の募集があり

娘と一緒に申し込んでいた。

4月に娘がいなくなり

悲しみの中で、外出もままならないのに

たくさんの人に会って練習なんてとんでもない。

ましてや「歓喜の歌」なんてとんでもない。

辞めようとおもいながら

練習開始の夏を迎えた。

 

初回練習の前日

どうしても行こう

 となぜか気持ちが動いた。

なにかに背中を押された。

 

初日、練習場所に勇気を出していくと

娘とわたし

二人共がお世話になった

先生が肩を抱いてくれて

「一緒に精一杯歌って、

空まで声届けよう」

と声をかけてくださって。

涙が出たけれど

緊張の方が強くて

泣き崩れはしなかった。

 

その日、途中まで音取りして

さいごに全パートで合わせた。

こんな状態のわたしが

こんな爽快感を感じていいんだろうか。

と思うくらい

第九の持つエネルギーにやられた。

 

同じく第九を歌う方に

ブログのコメントで励まして

いただけたことも

心から嬉しかったので

一部抜粋させていただきます。

『音楽は空と繋がっています。
 「歓喜の歌」は様々な悲しみや苦しみの上に成り立つ大曲。

 音楽のもつ大いなる力にたくさん救われるはず。

 お空の子ども達と共に歌っていきましょう。』


その後も月2回の練習に出かける前は

やっぱり緊張して勇気が必要だった。

でも、

娘の誕生日ナンバーの車に

出会えたのは、

娘からの応援だと思えた。

 

練習中に何かと声をかけあえる

同年代の方と知り合えて

でも、私的なことは話さずいられて

ただ音楽(とドイツ語)に

向き合う時間が

ありがたかった。

気持ちが落ちがちな休日、

辛さから少し離れられる大事な時間だった。

 

いよいよ迎えた当日。

衣装を着て

久しぶりの化粧をした。

鏡の中の自分の顔が

それなりに明るくてびっくりした。

 

リハは緊張しすぎて

手汗で楽譜がヨレるほど。

 

本番、

リハの緊張も解けて

舞台のうえで

第1楽章からオケの演奏を味わえる。

なんて贅沢な時間なんだろう。

悲しみも苦しみも安らぎも

たっぷり味わった。

 

第4楽章

本番で感極まって

娘を思って泣いてしまったら

どうしようと

身構えていたけど

バリトンソロの渾身の歓喜の響きに

心が沸きたった。

 

合唱が始まると、

とにかく気持ちがいい。

最後のほう、

歌詞も飛びそうになったけれど

いつもの2倍くらい腹式呼吸ができて

いつもの2倍くらいの声が出た。

(あとで隣の方と、

 今日めっちゃすごかったね! と

 盛り上がるくらい)

 

満員の広い会場のどこかにいる

娘に向かって

歌おうと思っていた。

でも、娘はたぶん舞台の上に居た。

もしかしたら

わたしの中に入っていた。

それでふたり分の声で歌えた。

そうなんだと信じている。

 

圧倒的な音に身を委ねる時間、

これは娘がくれた時間。

 

 

 

○○ちゃん

あの素敵な時間をプレゼントしてくれて

ありがとう。

悲しいことがあった一年を

悲しみだけで終わらせないよう、

あなたが導いてくれたね。

音楽はあなたと母さんを繋ぐ

大事なもののひとつ。

さみしさと悲しさは消えることはないし

ごめんねも後悔もまだまだ続きそう。

でも、あの時間を思い出して

新しい年も何とか生きてくよ。

 

ありがとう。

Freude!