設計図の検証

 

 

 入手した設計図は3枚、これは3種類の転車台があるということだが、そのうちのどれを採用したらいいのだろう。それぞれのタイトルには「機関車転車台定規」「転車台之図(甲号)」「転車台之図(乙号)」とある(以降、各「定規」「甲号」「乙号」と略)

 

 転車台のサイズは「定規」が42フィート6インチ、「甲号」が41フィート5インチ1/4、「乙号」が40フィート6インチなので、最小サイズを選ぶとすれば「乙号」になる。

 

 しかし「乙号」は他の2台にくらべて記述が粗く寸法表記も少ない。また乙号は他の2台とは独自の形状で(特に両端の車輪止め部分:図1、しかも現存していないので情報の不足分を補うのがむずかしい。

 

 一方で「定規」と「甲号」は寸法表記が比較的多く、何より両者は各所の形状がよく似ている。また両図面には互いにはない情報があるのでそこを補い合える。たとえば「定規」には土台部分も描かれているが「甲号」にはそれがなく、また「甲号」には使用した鉄材表があるが「定規」にはない(図1)。なにより両者は現存する日本最古の転車台から不足情報を補うこともできる。

 

 そこで今回は「定規」と「甲号」を採用し、図面で両者の穴を補いつつ、現存の転車台の情報も加え、新たな図面を起こすことにする。

 

 

(図1)3つの設計図の特徴

 

 

 

 

 

構造の理解

 

 足りない情報を補うには機能を知ることも必要になる。なぜならモノの形状は機能によって決まるからだ。

 

 図面をよくみると、鉄材の側面が二重もしくは三重になっている箇所が多い。これは当時の鉄製構造物特有の作り方である(図2)

 

(図2)鉄材が重なった箇所

 

 この時代はまだ鋼鉄建材の製法が確立されておらず、大型の鉄材は錬鉄(れんてつ)で作られ、小型で複雑なものは鋳鉄(ちゅうてつ)で作られていた「第25回:ラウンドハウスの鉄」参照)。また当時は溶接の技術が未発達なため、鉄材同士の接合は材を重ね合わせてからリベットで止めていた。そのために鉄材が二重三重に重なる部分が出てくるのだ。

 

 図面にはそうした部分が混み合い、また簡略表記されていて非常にわかりにくいので、それを明確にする必要がある。そこで当時の鉄製構造物に実際に触れることでその構造を学び、その後で製図をする必要がある。そのうってつけが古い鉄橋だ。

 

 東京には明治時代に作られた鉄橋がいくつか残されており、中でも小型で間近で詳細に観察できるのが、神田川河口にかかる「柳橋」である(図3)

 

(図3)柳橋

 

 柳橋を観察すると、基本構造となる柱や梁がアングルでできていることがわかる。アングルとは、鉄板を細長くL字形に曲げた鉄材のこと。さらにこのアングルを複数組み合わせればさらなる形状の建材を作ることができる。

 

 たとえばT字型の鉄材が必要な場合には、アングル2つを背中合わせにしてリベットで接合する。またコの字型の鉄材(チャンネル)が必要な場合は、アングル2つの端を合わせてリベットで接合する。さらにH字型の鉄材が必要な場合は、アングル4つをリベットで接合する(図4)。そのためこの時代の鉄製構造物は表面がリベットだらけの独特の外観に仕上がる。

 

(図4)アングルとリベットの構造

 

 現在であれば、以上の形状の鉄材を最初から製造でき、また溶接によって作ることもできるので、リベットを用いない分だけ重量を軽減でき、また多くのリベットを打ち込む作業の手間と時間を節約できる。

 

 

 

 

 次回は、もうひとつ製図に必要な知識を紹介。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:東京都で学べる当時の工法

 

 隅田川には当時の工法でできた鉄橋がいくつかある。代表的なものは、厩橋(うまやばし)永代橋千住大橋勝鬨橋(かちどきばし)だが、これらの橋は、先述した柳橋では確認できなかった底側の構造を知るのに役にたつ。というのも隅田川の河川敷から底部が観察できるからだ(図5-1)

 

(図5-1)東京の鉄橋

 

 

 これらの鉄橋よりも転車台の構造に似た箇所を多く持つのが鉄道の鉄橋だ。秋葉原の総武線の高架橋や、神田の中央線の高架橋山手線の新橋・有楽町間の高架橋はとても参考になる(図5-2)

 

(図5-2)東京の鉄道高架橋

 

 

(図5-3)東京の鉄橋の地図