今回は久々にラウンドハウスの3Dモデリングに関する新情報を紹介する。結論から先にいうと、新たな図面を入手し謎のいくつかが判明したのである。それを今後数回に分けて解説していく。今回は概要

 

 

 

 

 

新たな図面

 

 ラウンドハウスの現存する設計図がわずか2枚(図1)ということはこれまでに何度か述べた通りだが、この2枚だけでは不足情報が多く、モデリングには不十分だった。また設計図自体に記載ミスがあり、その補正や修正のために、根拠となる別の資料を必要としていた。

 

(図1)ラウンドハウスの図面2点

 

 

 

 今回入手した図面はバーミンガム機関庫のものであって、ラウンドハウスのものではない。このバーミンガム機関庫は、本ブログ第26回で紹介した通り現存しておらず、HS2(簡単にいうとイギリス版新幹線計画)の工事中に土台の遺構が発掘され注目を集めた。

 

 バーミンガム機関庫の図面群は、現在イギリスの科学博物館グループ(Science Museum Group)のウェブサイト無料公開されている(図2)。しかもラウンドハウスの図面のように雑誌掲載分のモノクロ画像などではなく、設計者自らの手によるオリジナルのもので、しかも彩色を施されたものを高解像度デジタルスキャンしたものだ。

 

(図2)イギリスの科学博物館グループ(Science Museum Group)のウェブサイト

 

 

 

 これらの図面はラウンドハウスのものではないが、設計者は同人物のロバート・ドックレイである。これはつまりラウンドハウスがバーミンガム機関庫の直系ということを示し、そうである以上、そこには受け継いだ技術があるはずだ。これらはラウンドハウスの3Dモデリングに大いに役立つだろう。

 

 そもそもバーミンガム機関庫は世界初の円形機関庫であり、その設計はすべてが手探りだった。後で触れるが、そこにはトライ&エラーの跡がいくつもあり、ラウンドハウスへと設計が受け継がれ発展していく過程がみてとれる。

 

 

 

 

 

図面の内訳

 

 先述のウェブサイトでは、バーミンガム機関庫の図面は、あくまでカーゾン・ストリート駅全体の図面群の一部として扱われている。この図面群は全95点から構成されているが、本ブログで眼目とする機関庫関連のものはその内の14点である。またその内11点が機関庫の構造図であり、残る3点は駅施設の配置図である(図3)

 

(図3)バーミンガム機関庫関連の図面

 

 

 

 ウェブサイトの図面群には、掲載者によるナンバリング(CZNST-)が施されているが、図面の内容からみると年代順に配置されていないことがわかる。そのため、まずは年代を整理し直し、本ブログで必要な図面がどれかを特定する必要がある。その結果が図4である。

 

(図4)図面の仕分け

 

 

 で記したものがラウンドハウスの資料として直接活用できるもので計8点は計画されたものの実現しなかったとおぼしきもの、は実現はしたもののラウンドハウス自体の構造には直接関連ないものである。ただし私はプロの専門家ではなく、この判断や分類には自信がないため、どのような根拠からこの結果になったかを以下に説明する。どなたか詳しい人がおられたらぜひ教えていただきたい。

 

 

 

 

 

年代特定の根拠

 

 各図面の年代順とその根拠を整理したものが図5だ。

 

(図5)各図面の年代順と根拠

※青地の箇所は実際には建設されなかったと推測

 

 

 機関庫に関連する図面全14点の内、製作年月日の記載があるものは8点で、当然これらについては順番が特定できる。しかし残る6点には記載がないので別の根拠が必要となる。

 

根拠1:会社名

 機関庫に関連する図面全14点の内、鉄道会社名が記されたものは10点あり、その違いによって製作順を区分できる。というのも社名の種類は2種類あって、ひとつは「ロンドン&バーミンガム鉄道」、もうひとつは「ロンドン・ノース・ウェスタン鉄道」であり、両者の営業年代が異なるからだ。前者のロンドン&バーミンガム鉄道は、1846年に他社と合併し、後者のロンドン・ノース・ウェスタン鉄道という社名に変更しているため、これが図面の年代順を決める手がかりとなる。

 

根拠2:別の整理番号

 図3図4で記した各図面の番号(CZNST-)は、あくまで先述のウェブサイトにならったものにすぎず、これはあくまでそのサイトが独自に決めた番号にすぎない。一方で図面中には、製作時以後に追加・付記された跡がいくつかみられ、その中に独自の整理番号らしきものがある図5赤字箇所)。ためしにこの順番に各図を並べ替えると、図面の内容が自然につながる(例外あり)

 

根拠3:地図の図面

 駅全体の地図あるいは配置図である3点(CZNST-65, 70, 74)は、機関庫に隣接する棟の数や形状・位置が異なっており、これが各図の年代順を特定する手がかりになる。この配置図の中には、後にロンドン・ノース・ウェスタン鉄道に吸収されることとなるストゥア・バリー線が描かれているものがある(図6-4)ため、その図面の作成時期が合併年の1854年前後と推測できる。

 

根拠4:地図資料

 図面以外の資料を活用する方法として、年代別の複数の地図資料を活用する方法もある。図面が作成された19世紀の地図には、現在3種類が知られている(1839年, 1851年, 1888年)ので、そこに描かれた機関庫ならびに駅舎の変遷から図面の順番や製作時期を特定できる(図6)

 

根拠5:関係者のサイン

 機関庫に関連する図面全14点の内、10点に関係者の手書きのサインがある。そのサインには設計責任者のドックレイや、建設業者のグリセル&ペトのものがあることから、これらのサインが図面の建設計画に対し許可が下されたと解釈でき、逆にサインがないものは立ち消えになった計画とみなせる。これによりサインがないものをラウンドハウスの資料から除外できる(年代特定不要)とみなせる。もちろんこれは私の推測にすぎない。

 

(図6)地図と写真でみる変遷

(図6-1)2024年現在

※赤線箇所が機関庫の位置

 

(図6-2)2021年の航空写真

※発掘作業中(赤ワク箇所)

 

(図6-3)1839年(建造2年後)

※現在最古となる機関庫掲載の地図

 

(図6-4)1851年(建造14年後)

※南側にストゥア・バリー線が確認でき、また敷地南西部と北東部に新築建屋が確認できる

 

(図6-5)1888年(建造51年後)

※大幅改築。円形機関庫が消え(赤ワク箇所)、機関庫は周囲に分散

 

 

 

 

 

 

大まかにわかること

 

 機関庫に関連する図面全14点を整理すると、機関庫の建設や改築には3段階あったことがうかがえる(図7)第1段階は何もないところからの建設段階CZNST-53,54, 55, 59であり、第2段階は屋根の大幅改築CZNST-61, 56, 57第3段階はトロッコ棟の増築CZNST-62, 63である。

 

(図7)バーミンガム機関庫の建設・改築の段階

 

 

 

 この内、特に第2段階CZNST-61, 57には目を見張るものがある。それは後のラウンドハウスの屋根形状や構造と酷似しているからだ(図8)。これは明らかに当初の簡易屋根設計(同心円形ドーナツ状屋根とむき出しの転車台)に根本的な不具合があり、その後再設計が成功して次なるサウンドハウスへと受け継がれたことを示している。

 

(図8)酷似する2つの機関庫の図面

(上がラウンドハウス、下がバーミンガム機関庫)

 

 

 

 この屋根の改築設計の時期を整理すると、最初の設計から数えて5年5ヶ月後となる。またこの大規模改修以前に、ドーナツ状の屋根の上方を金属板らしきもので覆うという簡易的な改築案(CZNST-58)があったようだが、許可されたらしきサインがないため採用されなかったとみられる。おそらく屋根の不具合は根本的な設計見直しを迫られる大きなものだったのではないか。

 

 第3段階のトロッコ棟については、ラウンドハウスに継承されていないため、あくまでモデリングには参考にはならないが、計画の裁可を示すサインがあることや、駅舎全体図(CZNST-65, 70, 74)にも描かれていることから、実際に建設されたようであり、それだけの要求があったのだろう。

 

 以上からラウンドハウスの資料として活用できる図面が計7枚CZNST-53, 54, 55, 59, 61, 56, 57にしぼられる。

 

 

 

 

 

次回以降は、以上7枚の図面を詳細にみていき、ラウンドハウス不足情報を補っていく。