一人になって気づく、家族に、夫に息子の世話ができるありがたさ。
自分のためだけのご飯作りや、部屋の掃除は、やる気がしない。
夫と子供のために、ご飯作ったり、家の掃除したり、家族のために時間を割いていたことに、私ばっかりが我慢してるとか、
お礼がない、見返りがないと、自分を被害者というか、自己犠牲していると考えていた。
息子は中学生。一人っ子だし、毎日塾、習い事、空いている時は友達と遊び、暇があればスマホで動画を見て
会話も少なかった。それが寂しく思い、やってあげていたことに対して、反応がないと、怒ってしまった。
そんな年頃の息子に、自分は親の立場からでなく、いつも同じ目線で見てしまっていた。
言ったことを聞いていなかったり、ご飯作ってもごちそうさまもないので、イライラを
ぶつけてしまっていた。
この頃、多分更年期のイライラもあったし、息子の反抗期もあったし、
息子の大好きな習い事の送迎の時に、家を出る前に用意していくて、出発の時間を守れないと、
車を走らせてから、なんで用意できていないの!
送っていかないよ! ここで降りて!!
息子にとってトラウマになるようなことが何度か起こしてしまった。
家を出る時に息子に言われた、
親はただ、子供の世話をするのが当たり前、それを放棄するなら一生口聞かないよ!!と
それが私を決定的に家を出る決心をさせた。
息子が行かないでとか、一緒に行くと言ってくれると心の中では
そう思っていた。
が、希望と真反対、息子は私を必要としていないと、ショックだった。
すごく愛してるし、私の宝だといつも思っていたのに。
今はただ、ただ、家族のため、息子のために
私はご飯を作ったり、快適に過ごせる家を掃除したり、
気持ちよく着れるように洗濯するとか、
今はただただ、家族のために家事をさせてもらえることが
ありがたかったと心から思える。
人の役に立てることをしている、必要されていることが
どんなに素晴らしいか。
今の私は透明人間。自分は誰からも必要とされず、
自分のことだけ。
お金ないのに自己投資だけできる幸せと捉えるか、虚しいと捉えるか、、