かつて下関(山口県)は関釡連絡船(現在の関釜フェリーの前身)を通して、朝鮮半島との窓口となった。埋もれた、知らない話が多々ある。その一つに、1926年8月3日、下関から釜山行きの連絡船から若い韓国人男女が投身自殺した一件がある。

 韓国で2018年、ドラマ化された、イ・ジョンソク、シン・ヘソンが共演した「死の賛美(サエチャンミ)」である。主人公は、金祐鎮(キム・ウジン)と尹心悳(ユン・シンドク)。これは実話である。

 

 植民地時代、尹心悳は東京音楽学校に留学し、後に日本で11曲の歌をレコードに吹き込む。その中に歌曲「死の讃美」があった。ソプラノ歌手兼俳優として活躍する。尹には恋人がいた。それが木浦(モッポ)の金持ちの子、金祐鎮だった。金も留学して早稲田大英文科で戯曲を専攻し、韓国最初の近代劇団体「劇芸術協会」を結成する。

 

 2人は新時代の旗手として、韓国に新風を吹き込む存在であった。互いに愛し合う仲であったが、金の父親が2人の仲を裂く。その頑固さに嫌気をさした金は、再び日本に渡り、俳優になる。尹は彼を追って渡日する。再会した2人がどのような話をしたか、わからないが、結局は関釡連絡船から身を投げて心中してしまった。

 

 1926年、尹が歌った「死の讃美」はかなり流行ったという。その歌詞の一部を紹介したい。この歌曲は、投身自殺する直前、東京で吹き込んだ歌であったという。その歌詞を一部、紹介したい。

 

 荒涼とした広野を走る悲しい人生よ

 あんたの行き先はどこですか

 涙だらけのこの世、私だけいなくなると大丈夫?

 幸せな人生よ、あんたはどこにいる

 

 「死の讃美」は1991年、この悲話をモチーフに映画化されている。その解説に「日帝下、家父長制が徹底した1920年代の新女性で、自由恋愛の先駆者だったソプラノ歌手・尹心悳の一代記」とある。尹は官費留学生として渡日した、韓国近代の開化期に、新しい教育を受けた女性であった。

 ただし、相思相愛の仲が家父長制によって引き裂かれるという封建的、守旧の壁に遭遇し、悲劇の人生となった。