518年続いた朝鮮王朝は、儒教を社会的価値観に据えたため、いろんな弊害を生んだ。その大きなものに、男尊女卑、女性蔑視がある。

 男性中心のあらゆる制度や価値観の中では、女性はすべてのものを放棄して、家という名前の監獄に閉じ込められ、生き続けることを余儀なくされたと、普通思ってしまう。

 

 果たして、そうだろうかと疑問を投げかけるのは、韓国言論界の巨人・李圭泰(イギュテ)である。彼は、こう考える。

「このように抑圧され、自己の人格を放棄してしまった女性層は、地域的に見ても階級的に見ても少なかった。女性に関する記録の大部分は、字が書ける少数の上流階級の人達によって書かれたもので、彼等の周辺で起こった事件を彼等の価値観によってのみ記述されたものである。そのため、女性は抑圧されてばかりいたという女性史の事実を、当代の下層階級に至るまでの全女性や、また全地域の女性に拡大適用することは矛盾していると云わねばならない。」=李圭泰著『続 韓国人の意識構造』東洋図書書出版より

 

 女性が奴隷のように働かせられたのは、外部的な要求のためではなく、「内部に存在する自発的な意志が大きな要因となっている。即ち。させられる仕事ではなく自ら行う仕事であった」

 韓国の女性は抑圧されて、生きて来たのは確かである。しかし、抑圧され続けたかいえば、それとは異なる社会的現象にもぶつかる。李圭泰は、そのことを次のように指摘する。

 

 「抑圧された伝統以外に別の伝統があったのではなかろうか。抑圧された伝統は、少数の階級社会に局限されたものであってその他の多数の庶民社会では、それとは別な習俗があったのではなかろうか。という疑問が生まれてくる」(李圭泰)

 地方には、儒教が浸透せず、それに汚されなかった地方が存在し、そこでは自由に生きる女性が多くいた。全羅南道の固城(コソン)の市場が、そのいい例であると、李圭泰はいう。

 

 韓国の女性史を調べ、考えている。

 儒教的価値観に縛られた女性たちが、それから解放れるのは、開国後である。

 階級社会を崩壊させる天主教(キリスト教)を弾圧していた朝鮮政府は、開国後、否応なく西洋社会を受け入れる。これによって、大きな社会変動が現れる。なによりも女性の意識が変わっていった。

「韓国に天主教という宗教が入ってくるや、韓国の女性たちは長い間漠然と描いていた脱出口を漸く探し出すことに成功したのである。学があるとか無学とかは問題ではなかった。そして彼女たちは、いままで押さに押さえられてきた古いモラルに抵抗したのである」

 

 本来、闊達な韓国女性は、偽善的で虚勢を張り階級的に尊大ぶる上流社会に抵抗し始める。彼らの非人間的要素をいかに改めさせるか、という命題を意識ながら抵抗が続けられたが、これは先の長い、長い戦いであった。

 

 男女差別は、近年の女流作家が取り組む大きなテーマである。『82年生まれ、キム・ジヨン』の著者。チョ・ナムジュ氏は、こういっている。

 「女児より男児を重んじる家父長社会で、幼い頃から諦念を身に付けざるを得ない」と。

 21年に刊行した『ミカンの味』は、その問題に向き合っている。

 

 韓国女性史を知る旅は、韓流ドラマを見ながら、やななければと思い、始めた。