「北部九州から京都府へ。最新のデータサイエンスが照らし出す、奇跡の鏡の物語。

 安本美典著『「卑弥呼の鏡』が解く邪馬台国』(中央公論新社)

 京都府の元伊勢籠神社宮司家に伝来する二面の鏡こそ、魏の皇帝が卑弥呼に与えた百面の鏡の一部である! 半世紀以上におよぶ研究の集大成」

 

 このような書籍広告が、本日付の西日本新聞1面に掲載されていた。安本美典氏は邪馬台国研究で知られ、福岡市の梓書院の季刊『邪馬台国』の編集長を長年続けて来られた。

 広告を見て、安本氏も齢を重ね、元気なうちに集大成本を出すときを迎えているのか、と思った。一般的には、研究・著作活動は著作集とか全集本を出すことで大きな区切りとしているようである。それを安本氏は、新作で世に問おうとしているわけである。

 

 ここに登場する元伊勢籠神社(京都府宮津市大垣)。それからは海部氏系図を思い出す。現存する日本最古の系図が、宮司家のこの系図である、と聞いていた。

 これは国宝で、平安時代の書写。海部氏とは、海人部を統轄した伴造氏族である。現在まで、海部氏が宮司を世襲している。

元伊勢といわれるのは、伊勢神宮に祀られる天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移された故事による。祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)。彦火明命は別名「ニギハヤヒ」と呼ばれる神で、日本神話に登場する。

 

 安本氏が、元伊勢籠神社宮司家に伝来する二面の鏡とは、海部直伝世鏡「息津鏡」「辺津鏡」のことをいっているのだろう。これは、同神社所蔵の指定文化財以外の宝物である。

 

 卑弥呼が魏の皇帝から下賜された銅鏡100枚は、三角縁神獣鏡とされる。縁の断面が三角形で、直径20cm余りの大型青銅鏡である。

 大正9年、京大講師の富岡謙蔵(画家・鉄斎の長男)が、三角縁神獣鏡に彫り出された銘文を詳しく分析し、「三角縁神獣鏡が魏・晋時代の鏡であり、魏の都・洛陽で造られ、日本にもたらされた舶載鏡である」ことを割り出した。富岡謙蔵はこれを卑弥呼に贈られた鏡と考え、邪馬台国畿内説を支持した。

 しかし、この鏡は中国は一枚も見つかっていない。それに日本は既に100枚を大きく超え、300枚以上出土していることから、日本製とする説が出ている。

 

 元伊勢勢籠神社に伝わる「息津鏡」は直径17・5㎝。後漢代の作と伝えられる内行花文八葉鏡である。この鏡は日本では弥生から古墳時代にかけて輸入された他、模造して作られた仿製鏡(倭製鏡)もある。

 同神社に伝わるもう一つの「辺津鏡」は直径9・5㎝の内行花文昭明鏡といわれる。

 

 安本氏は、この二面の鏡が「魏の皇帝が卑弥呼に与えた百面の鏡の一部である!」としている。なぜか。安本氏の新著を買って読むしかない。