「いま、韓国・光州(クァンジュ)に来ています」と昨日の電話で聞いたシンガーソングライターの野田かつひこさんと、きょう那の津(福岡市)の会社で会った。本当に、全羅南道の光州に行っていたのか。「午後6時過ぎ、仁川国際空港発の飛行機で帰ってきました」(野田さん)。

 その行動力とタフがいさに感心した。歌手である。当然、光州で歌ってきたと思った。その通りだった。光州の労働団体、市民団体の招きで歌ってきたという。その仲介の労をとってくれたのが、北九州市の焼肉屋の主人と聞いて、「どこでどうつながっているのか」と驚いた。

 

 コロナ規制が緩くなった一昨年から、東京をはじめとする国内ばかりか、百済の都・扶余、ソウルでも歌ってきた。野田さんといえば、朝鮮通信使の歌である。ソロで歌い、バンドを付けて歌い、朝鮮歌舞団とのコラボで歌いとバージョンアップし、韓国でも歌えるようにハングルバージョンも仕上げていた。

 すでに扶余のコンサートで歌った、朝鮮通信使の歌は聴衆から大喝采を受け、今回の光州でも大変な盛り上がりだったという。

 

 朝鮮通信使を民衆史観で捉えた在日の研究家・辛基秀(シンギス)氏がいる。幕府の政治的思惑を超えて、民衆が熱狂的に受け入れたがこそ、朝鮮ブ-ムが巻き起こった。

 野田さんは、そこをうまく曲に取り入れている。光州でも、それが響いたのであろう。

 

 光州の5・18民主化運動(1980年、光州事件)を伝える自由公園を、野田さんは見学したことと思う。

側近の銃弾に倒れた朴正熙(パクチョンヒ)大統領亡き後、1980年、全斗煥(チョン・ドファン)が大統領の地位を手に入れようと、軍部を誘導して起こした事件である。死傷者は光州市民4000人超という。事件の背後には、政敵の金大中(キム・デジュン)氏を内乱陰謀罪などで抹殺しようとする狙いが全斗煥にはあった。

 

 10年前、初めて自由公園を訪れたとき、ちょうど女子高校生が校外学習に訪れており、語り部が彼女らに対して、身振りを交え当時の惨状を説明している後継を見た。公園内には拷問、牢獄、軍事裁判などの様子がわかるように施設を再現して展示している。

 

 野田さんは、「アンコール、アンコール」という聴衆の声に応え、主催者が望んでいた「あなたのための行進曲」を歌った。

 この曲は、光州事件の犠牲者で市民軍の指導者と不慮の事故(1978年)で亡くなった労働活動家を追悼(霊魂結婚式)のために製作された曲である、1981年に制作されている。

 これは聴衆を一体化する歌で、聴衆のなかには涙しながら声を上げて歌う人もいたと、野田さんは話していた。

 

 5・18記念文化センターで、当時の鼓動を伝える資料を見た。狂気に走った人間が、どこまで残酷になるか。恐ろしい実態を暴いていた。空輸部隊を投入したり、軍の暴走を煽った全斗煥は大統領退任後、法廷で裁かれたが、殺戮に走った軍人らの罪はとてつもなく重いし、市民には悪夢を見るような衝撃がいまだに消えずに残っている。

 野田さんにとって、光州で歌ったこと自体が大きな意味を持つように思われる。ご本人は、どう感じているか。短時間の出会いであり、尋ねるのを忘れてしまった。