朝鮮の3大義賊の一人、張吉山(チャンギルサン)は、ユ・オソン主演のドラマで韓流ファンも、よく知っていると思う。このドラマの原作が、意外な作家である。意外というのは、韓国でノーベル文学賞候補として有力視される黄晢暎(ファン・ソギョン、1943~)なのである。彼が1974年から10年がかりで描いた大河歴史小説が、『張吉山』である。張吉山の生没年は不詳だが、顕宗(ヒョンジョン、第18代王)、粛宗(スクチョン、第19代王)の時代に生きた実在の人物とされる。

 

 『張吉山』が書き始められた1974年といえば、ときの大統領・朴正熙(パクチョンヒ)暗殺未遂事件が起きた年である。聴衆が集まる会場で、在日の文世光(ムンセグァン)が狙った弾は、朴正熙に当たらず、脇にいた陸英修(ユギョンス)夫人に命中し、陸夫人は亡くなった。『張吉山』が執筆された時代は、朴正熙から全斗煥(チョンドファン)へと政権が移行したものの、民主化運動が弾圧された、厳しい冬の時代である。黄晢暎は、義賊・張吉山に何を託したのか。

 

 物語は、張吉山が僧侶勢力と組み、地方の有力者を味方に入れて、鄭真人という男を王に推戴して、新国家の建国を目論む物語である。巷で長く流布していた予言書『鄭鑑録(チョングァンロク)』を巧みに生かしている。張吉山が活躍した1700年代前後、利権のために悪事を働く役人が増え、その圧政に民衆は苦しめられていた。当然のごとく、新しい社会を希求する怨嗟の声が巷に満ちている。そこに彼らの思いを託す義賊が現われる。張吉山である。彼は民衆の声に応えた義賊であった。

 

 黄晢暎は、軍事政権を揶揄すべく、非難すべく、張吉山を登場させたのではないか。歴史小説に材料をとれば、政権の弾圧をかわすことができるという狙いがあったのではないか。

 

 本棚に立てかけ、読まないままになっている本があった。小説『客地』である。黄晢暎のデビュー作である。韓国文学の解説書によると、暴力とピンハネの横行する干拓工事現場で、労働者たちが起ち上がるまでを描いた小説である。それは頭に入っていたが、手にとることもなかった。 黄晢暎の人生は「壮絶、起伏が激しい」の一言に尽きる。メモ風に書くと、次のようになる。

 

 旧満州生まれ。高校中退。雑誌『思想界』新人文学賞に入選し、作家デビュー。韓日会談反対デモで逮捕。地方で寺男や日雇い労働。海兵隊入隊。ベトナム戦争従軍。北朝鮮訪問も反共法違反で帰国できず、ドイツ亡命。米国滞在。帰国後に即逮捕。釈放後、民主化運動や進歩派と一線を画す…。

 今もなお、韓国でノーベル文学賞を期待できる、巨星である。現代の問題に鋭く切り込み、例えば、脱北少女の人生を描いた作品はベストセラーになった。

 

 その黄晢暎が洪吉童、林巨正とともに「朝鮮3大義賊」とされる。張吉山を書いていたとは、意外であった。純文学を書く作家である。歴史小説を書いていたとは、という思いが強い。だから、なおさら黄晢暎が張吉山に重ねた思いとは何だったのか、気になるのである。