韓国の南岸、全羅南道の島で、文学の島づくりをしている延世大の薛盛璟(ソル・ソンギョン)教授。九大に訪問研究員として滞在しているとき、ある韓国人の友人を通して紹介された。韓国古典文学の研究者として知られる。

 朝鮮王朝第15代王・光海君時代の官僚・許筠(ホギュン)が書いたハングル小説『洪吉童(ホンギルトン)伝』の、その義賊である主人公が実在の人物であるという説が、研究者から出た。薛盛璟先生も、提唱者でなかったか。

 

 1990年代の終わりごろである。洪吉童の出身地は全羅南道・長城郡である。それを、地元ではまち起こしに活用しようと、洪吉童祭が始まった。そのシンポジウムにも、薛先生はパネリストとして呼ばれている。

 文学、芸能を生み出す文化的土壌は、韓国南部、それも全羅道が勝っている。ここは穀倉地帯であり、中央から派遣された役人の悪政によって、民衆が虐げられたところである。その感情が大きく揺れ動く中から、ハングル古典小説『春香伝』、パンソリなど現代に伝わる芸術が花開いた。

 

 薛先生とは福岡で、対馬でも再会したが、そのとき「私がやっている南海(ナメ)の文学の島を見に来てください」と声を掛けられていた。もう10年ほど前の話である。

 日曜以外は毎日、延世大の研究室、図書館に出ている、延世大の名物教授である、と友人に聞いたことがある。さぞかし蔵書も多いことと思う。それをもって、南海の島に移り住んでいるのかもしれない。それと、もう延世大を退官されている年齢であるはずだ。

 

 「南海に、文学の島誕生」という紹介記事が、韓国紙に既に出ているのかも知れない。

 朝鮮王朝初期に、対日外交官として活躍した蔚山出身の李芸(イイェ)は、朝鮮の公式使節として琉球を訪問した。その調査で沖縄に行ったこともある。薛先生が研究される『洪吉童伝』も琉球とかかわりがある。洪吉童が理想郷を求めて、国を離れ島に渡る。その島で頭首、オヤケアカハチになる。その島が八重山といわれている。

 

 薛先生は夢を追って、南海の島に渡る。そこで自分の理想郷をつくろうと。洪吉童が仲間を連れて、島に渡った目的もそうであった。薛先生とは洪吉童が重なって見えてくる。

 ともあれ、今度再会したときには、琉球について話ができればと思う。