北部九州も梅雨に入った。常日頃、運動靴を履く私には、鬱陶しい季節である。1日10キロ歩くことを日課にしているが、これもおぼつかなくなる。梅雨はつらい季節である。

 

 雨が降ると、韓国人は「酒を飲んでいこう」という気分になるらしい。それで、マッコリが売れる。酒を飲んで雨を避けるのではないだろうが、雨と酒は結びつきの深い言葉のようだ。釜山留学時代に、そんな話を聞いた。

 しかし、雨にまつわる言葉は、日本の方が遥かに多い。時雨、春雨、秋雨、五月雨、小ぬか雨、霧雨など、あげれば切りがない。それほど、日本人は繊細な抒情性あふれ民族なのであろう。

 

 雨は人を憂鬱にさせるというが、韓国人はどうなのだろうか。雨が降ると、酒が飲みたいという性分だから、きわめて陽気な民族なのだろうか。大きくいえば、中国の文化圏にあったことから、漢詩文が発達している。それで、上層階層の両班(ヤンバン)は、雨と酒をひっかけて、漢詩文をつくったと思う。拾い出せば、その作品も多いのではないか。

 

 日本では、雨は物思いにふけらせるものだった。雨で会えない男女がお互いの思いを推し量る。雨降りの日は、そのいうときでもあった。物思いの文学は、源氏物語にも代表される。

 雨の日、釜山の街を歩いていて気付いたのは、韓国人の傘が大きいこと。それと、地下鉄の中では、傘を足元に横に倒して置くこと。この二つは、日本と違うと思った。

 

 雨と晴天、曇り、雪、いずれの天気の日が好きか。あなたはどうだろうか。

 社会主義が風靡した大正時代、プロレタリア文学が流行った。その中の代表的な作家の一人、小林多喜二は雨の日が好きだった。活動家として常日頃、警官にマークされる彼は、雨の日だと傘で顔を自然と隠せるから気が楽だといっていたことを覚えている。

 雨には、思想までまとわりつく。雨は文学の素材として大きな要素だと改めて思った。

 

 江戸時代、伊勢松坂で医者を生業にしながら、古事記、源氏物語の研究に打ち込んだ本居宣長を、改めて読み直している。評論家・小林秀雄の畢生の大著『本居宣長』(新潮社)である。小林は雑誌『新潮』に11年余りにわたり、本居宣長を連載した。古典文学を味読したこの思想家を小林は追い、その真髄に迫る。宣長が「非常に生き生きとした思想劇」を演じ、「わが国の思想史の上での極めて高度な事件」を起こした、と小林は述べる。

 

 宣長72年の生涯で、50歳から死ぬまでの20余年の間に、ものすごい密度で仕事をしていることに驚いた。これは大野晋氏の『日本語と世界』(講談社学術文庫)で知った。『古事記』の注釈に35年。『源氏物語』の精読と、弟子への講義。昼間は医者として」診療にも行く。出版もするので、原稿書き、校正刷りもついてくる。

 この時代、50歳を過ぎると隠居をしてもいいのに、彼はせっせと自分の仕事をこなしていく。宣長は大変筆まめ、書く魔で、家計簿をつけるし、日記も怠らない。何とも、凡人には真似のできないことを、日々こなしている。

 国語学においても、古文の係り結びを組織立て、精密に調べ上げた成果を『詞(ことば)の玉緒(たまお)』という本にまとめていることも、特筆すべき点である。。

 

 桜が好きだった宣長は、歌にこう詠んだ。

  「しき嶋の やまとごころを 人とはば 朝日ににほふ 山ざくら花」 

  「めづらしき こまもろこしの 花よりも あかぬ色香は 桜なりけり」

 

 本居宣長は、代表的な日本人に入る人であるし、彼の人生から学ぶことは多々ある。小林秀雄の『本居宣長』を時間をみつけ、読み続けようと思う。