福岡城天守の再建を、と福岡市内で運動が続いているが、東京でも江戸城天守の雄姿を再び、と叫ばれていることを知らなかった。朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会で、江戸城跡をフィールドワークとして巡ったとき、解説者として「江戸城天守を再建する会」会員が随行してくれた。

 「皇居東御苑に江戸城天守再建を!」のパンフレットには、七つの城を並べ、天守の高さ比べをしている。明暦3年(1657)の大火で焼失した江戸城天守は高さ44・8メートルで名古屋城、姫路城、大坂城などに比べ抜きんでている。

 

 江戸城ほど火事に泣かされた城はないのではないか。都合5回を数える。寛永16年(1639)、明暦3年(1657)、天保15年(1844)、安政6年(1859)、そして最後は文久3年(1863)となる。幕末の混乱期に焼失して以来、再建れることはなかった。

 現在残る江戸城本丸跡地に残る天守台は、明暦大火の翌年に、加賀前田藩が築いたもの。この上に、伝統的木造建築の天守を再建しようと同会は訴えている。

 

 明暦大火で焼失した天守だが、「江府御天守図」など関連資料が多く伝わることから、それを基に復元図を三浦正幸広島大名誉教授が完成させている。

 江戸城天守再建が難しいのは、東御苑は宮内庁の所管であること。国会決議が得られなければ前へ進めない。そのため、衆参両院議長宛てに「請願署名」をと、2022年から進めているという。

 

 なぜ、江戸城天守再建なのか。

 その一つは、各国の首都にはベルサイユ宮殿、バッキンガム宮殿など誇るべき歴史と文化を伝えるシンボルがあること。さらに「観光立国・日本」の新しいランドマークになること、を同会はあげている。

 同会の会長は太田資暁氏。江戸城を築城した太田道灌の子孫なのであろう。

 

 江戸城天守再建へむけて請願署名を進める同会のことを伝えたのは、「朝鮮通信使友情ウオークの会」会長の遠藤靖夫氏だった。朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会の総会で披露した。

 江戸城天守再建とともに、「朝鮮通信使が、国書交換を行なった江戸城大広間」という石碑を建てられないかという思いが、遠藤氏にはある。このほか通信使の記念碑は、日本橋、本誓寺跡地、東本願寺(現在、台東区が設置した案内版あり)など数か所、考えられる。

 

 東京には、江戸時代12回にわたり来日した朝鮮通信使の史跡や史料が目につく形で明示されていない。これを何とかしたい、と朝鮮通信使の道を、ソウルら東京まで歩く(第9次ウオークを昨年終了。2024年は第10次)なかで、遠藤氏は痛感されたのであろう。

 私も同じ思いである。先日、奈良の通信使仲間から、次のような便りが届いた。

 「東京で、『朝鮮通信使』関連の見るべき所はどこでしょうか? 7月、KМJの講演会の後、次の日、フィールドークでどこを訪ねようかと思案中です」

 

 これに応えようと、私は史跡と史料を思い浮かべているが、まだまとまっていない。江戸入り10回の通信使なのに、なぜ? それは、東京には材料が乏しいからである。顕彰されていないことも大きい。この一言に尽きる。