朴正熙(パクチョンヒ)大統領は1976年に、臨時首都候補地を内密に調査するようにとの指示を出した。条件は大田市北方、錦江から可能な限り近い場所。規模は人口50万人程度といったもの。そして選定されたのが現在の世宗(セジョン)市付近だった。

 

 この臨時首都移転計画は安保上の問題(ソウルは北朝鮮にかなり距離が近く、通常兵器でも射程範囲内となる)と首都の人口過密解消が目的だった。しかし首都移転の予想費用は5兆ウォン、実際に着工すれば3~4倍になる可能性があり、当時の韓国にはそのような余裕がないと判断された。

 

 盧武鉉(ノムヒョン)は2002年に首都移転を公約として大統領に当選し、首都移転論が再び浮上した。しかし、2004年10月に出された憲法裁判所の首都移転違憲判決によって遷都計画は頓挫。最終的には政府行政機関の一部を移転するに留まり、行政中心複合都市として建設が進められることになった。

 

 2010年1月、李明博(イミュンバク)大統領時代、政府は行政機関移転計画を全面白紙化し、企業や研究機関を新たに誘致して教育・科学中心の経済都市を目指す世宗市計画の修正案を発表した。しかし、6月の国会本会議で世宗市整備計画修正案は否決された。こうして世宗市への行政機関移転計画は原案通り推進される運びとなった。

 2009年9月までに土地買収に5兆2000億ウォンが投入された。

 

 世宗市という都市名は、朝鮮王朝第4代王・世宗にちなんだもので、また「世の中(世)の一番上(宗)という意味を持つ」という。