韓国国道1号線は全羅道を抜けると、忠清南道へと入り、大きな都市としては論山(ノンサン)、公州(コンジュ)、世宗(特別自治市)、天安(チョナン)の各市を通過する。

 

◆江景、かつて朝鮮三大市場の一つ

 江景(カンギョン)は、朝鮮王朝時代には錦江(クムガン)沿いの物資を集散する河港都市として栄え、平壌、大邱と並ぶ朝鮮三大市場の一つに数えられていた。1906年に日本人による果樹各種の試植が始められて好成績を収めた。

日本の植民地時代、小林三郷ら日本人経営の農場が多数現れ、湖南線も敷設開業した。この繁栄は第2次大戦後しばらくまで続いたが、河口の群山(クムサン)とともに衰退した。

 

◆韓国陸軍訓練所

 論山市は人口約12万の地方都市。その市中心部から少し離れた、錬武(ヨンム)邑という人口1万5千人ほどの小さなまちに、およそ東京ドーム96個分という広大な韓国陸軍の敷地が広がり、様々な訓練施設が点在している。

 毎週月曜と木曜の入隊式典は、論山訓練所表門から300メートルくらい離れたところの入営審査台で行われる。審査台の開放は午前10時から午後3時まで(基本的に入隊する家族親族のみ入場可能)。

 12時半から午後1時半までは、「ユニゾンコンサート」と言われる軍楽隊の演奏や入隊家族の出し物が行われる。その後、レクレーションなどが行われ、正式な式典は午後2時から入所式が始まる。

 当日は別れを惜しむ家族達が昼食をとり、正午過ぎから入営審査台前は交通整理が始まりごった返す。

 

◆百済、世界文化遺産に  

  「百済歴史遺蹟地区」が世界文化遺産に登録されたのは、高麗の都・開城(現、北朝鮮)、新羅の都・慶州の後だった。意外だった。三国時代、百済の都である。公州、扶余は史蹟に埋もれた町である。尹龍爀(ユンヨンヒョク)公州大教授の案内で、公州を見て回ったとき、遺蹟の多さに圧倒された。

  印象に残ったのは公山城、武寧王陵(以上、公州)、ハスが鮮やかな宮南池、定林寺址(ジョンニムサジ)の石塔、白馬江と扶蘇山城(以上、扶余)など。ほかにも見所は多く、2泊3日の旅だったが、時間が足りなかった。古代、三国時代、倭国(日本)と親しかったのが百済である。

  朝鮮は石の文化である。公州城に象徴的な遺物があった。善政碑である。城門に入る手前に、歴代の地方長官の善政を記した石碑がずらっと並んでいる。任期を終えて、都へ引き上げる前に、自身の功績を記した石碑を建てることが慣例となっていた。善政碑とはいえ、なかには民を搾取して私腹をこやしながら、それを隠して偽りの善政を刻んだ評判の悪い長官もいた。

   これは釡山の東莱・東軒の敷地内でも見られた。