久々の東京。行きたかったのは、すみだ北斎美術館(墨田区)であり熊谷守一美術館(豊島区)であったが、北斎は休館、守一も時間の都合で行けず、結局は新宿区の漱石山房記念館を訪ねた。私は漱石をそれほど読んでいない。釜山の陳明順(チンミョンスン)霊山大名誉教授に情報を送ろうと、見学した。

 東西線・早稲田駅を下車して大通りを渡り、漱石山房通りを歩いて10分ほどで辿り着いた。途中早稲田小学校があるので、大学の付属かと思ったら区立であった、どうもまぎらわしい。

 

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

 

 歩きながら、漱石の『草枕』の冒頭部分が想起される。「とかくこの世は住みにくい」という漱石の生活は? と思ってしまう。だから、こそ、記念館を見る価値はある。

 辿り着いた記念館は、モダンな2階建て。入場料300円を払い、1~2階を見て回った。再現された書斎を見て、回廊に貼った展示物に目をやりながら回ったが、どうも息苦しい。その原因は、ガードマンが1、2階で目を光らせていることと、館内の展示物は撮影禁止にある。

 

 釜山を再訪した折、陳明順先生に渡そうとチラシを沢山入手し、私が一番関心のある漱石の「則天去私」の境地に触れられるかもしれないとテーマ展示「『門』-夏目漱石の参禅―」を見学した。

   1894年(明治27)の年末から翌年初めにかけて鎌倉円覚寺に参禅

   1914年(大正3)の春ごろから浸りの和解雲水(修行僧)と親しく交流する

   禅に対する関心をいっそう深めていた矢先に漱石は亡くなった

 このような説明があり、展示物には「漱石と禅」「『門』に描かれた参禅」「若き雲水の交流」の三部構成。具体的には、①漱石が禅の指導を受けた釈宗演関係資料、②漱石作品中の禅に関する記述、③雲水に宛てた手紙などが展示されていた。

 

 私の関心は、ひとえに「則天去私」にあったが、残念ながらこれに触れる展示物はなかった。

 陳明順先生は、自著『夏目漱石の小説世界』にある第六章『門』と「一叩一推人不答」のなかで、こういわれる。

 「漱石が禅に傾倒したのは他力にたよることなく、自力で『道』を得ることができるからであろう。松岡攘は『漱石は、宗教を『救ひ』の面で見ないで、『悟り』の面で見ていた』

 

 漱石とって、禅は自己救済止まりあったのか。「即天去私」は心に響いてくる言葉あるが、これも自己救済のレベルに留まるのか。

 

 入手したチラシのなかには、「漱石の散歩道」(14箇所)が紹介されていたが、時間なく、東西線・神楽坂駅に向かって歩いた。駅の近くには、留学先の英国ら帰国後、漱石が住んだ鏡子夫人の実家・中根家があったというが現存していないと、「漱石の散歩道」には書いていた。