朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会東京大会で、大垣市の子安孝夫さんと出会った。いままで欠かさず参加した全国大会(毎年1回)で、顔を見たことはあると思うが挨拶もせずに、すれ違っていたという感じである。地元、大垣・十六町に伝わる「豊年踊り」を68歳過ぎから始め、保存会のメンバーとして活動しているという。温厚な方で、大垣市役所の職員と一緒に東京大会に参加したが、市職員は晩餐会を外して、先に大垣に帰ったと話していた。短い時間だったが、かつて開催された全国交流会大垣大会を振り返りながら、話をした。私は大垣大会に参加して、知り合いもできていたが、長くは続かなかった。

 

 帰福後、郵便物が送られて来た。本が入っていた。タイトルは『美濃路大垣宿を通行した朝鮮通信使 大垣市十六町の歴史と伝統文化』。A4判、ヨコ組で150頁ある。2022年9月に自費出版している。

 

 挨拶状にこうあった。

「美濃平野の西にある水郷地帯に、江戸時代『中山道垂井宿』の助郷として、朝鮮通信使・大名行列などの荷物運びのお手伝いをした、不破郡十六村の先人ちが水難に苦労しながら作り上げた伝統文化に興味を感じ、探求」した、と。

 

 第10章まであるが、そのなかの郷土史関係に注目した。

   美濃路大垣土を通行た朝鮮通信使(Ⅰ~Ⅳ)、唐人(唐子)踊りと十六町の唐子踊り

 地元の住民にして、初めて書ける内容あり、後者は比較・検討のため、各地へ調査旅行した成果が記されていた。私も知る、東玉垣町(三重県)で唐人踊りを継承する和田佐喜男さんにも会って話を聞いている。

 

 朝鮮通信使往来を通じて、その行列・芸能を地元に取り入れた先人たちの思いは、どのようなものだったのか。

 子安さんは、こう記す。

「伝統文化の創造に力を貸し知恵を与えたのが、中山道垂井宿の助郷として、美濃路を通った大名行列・朝鮮通信使行列などのお手伝いで触れた豪華な異国文化あり、豊年豊作の年には村民総出で伝統文化を楽しんだことが想像されます」

 十六町の「豊年踊り」には、朝鮮通信使の影響がある。これをもとに、子安さんは、調査広げていき、150頁の本にまとめた。

 子安さんのこの本を通して、通信使の歴史、日本使行録、縁地訪問記などから、通信使の昔と今を楽しめることができる。

 

 著者のプロフィールがないので、子安さんを紹介することはできないが、68歳まで仕事に追われ、地元の歴史や豊年踊り、朝鮮通信使にも縁がなかったという。

 それが自らの意志で一転させたのが、「観光ボランティアガイドふるさと大垣案内の会」入会だった。退職後、「何か地元への恩返しを」と、挑戦を始めたことが、子安さんの人生を変えている。

 

 朝鮮通信使研究では、釜山に学会が創設され、ここでは大学の研究者が中心になって研究を深化させている。アカデミズムはいいが、専門すぎる嫌いもある。土地の香りがないことが寂しい。

 日本には、朝鮮通信使縁地連絡協議会に研究部会があり、各地の学芸員や郷土史家が研究を進めている。子安さんの大垣「豊年踊り」研究は、釜山の朝鮮通信使学会で発表したら、話題になるのではないか。推薦する価値はあると思う。