上野公園が昨日、韓国のフードフェスタで賑わった。そこに、上野広小路(上野松坂屋前)を出発した朝鮮通信使再現行列が恩賜公園、さくら通りを経て竹の台広場に到着後、隊列をこわさず入っていく。人気の韓国フードに惹かれて入った観客が湧いた。なんとも、脚光を浴びるコース設定に感心した。

 今日の各紙朝刊に、この再現行列はフォト中心に掲載されているのではないだろうか。それほど、通信使行列が東京の街中を隊列を組んで歩くこと自体、稀なことであるからだ。

 これは、東京・台東区で開かれた「第31回朝鮮通信使ゆかりのまち全国交流会東京大会」の一環として、開かれた再現行列であった。

 

 行列の衣装は、通信使の本場である国境の島・対馬から運ばれた。当日の編成・行進については川越「唐人揃い」で事務局長を長く務めた小川満さんを中心に、がっちり固められた。

 青天の下、楽隊―「清道」旗、三使(正使、副使、従事官)、対馬の守と藩士、チマチョゴリ隊と続く。沿道の見物客に、何の行列なのか、先頭にガイド役の女性がついて、日本語と英語で解説していく。

「江戸時代、朝鮮通信使が12回、日本にやってきました。平和友好を象徴する使節団でした。2017年、ユネスコ『世界の記憶』遺産に登録されています」

 沿道を行く人たちは写メールで、それを友人たちに拡散している。現代的な風である。

 

行列は、ときわ学園小1~中3、アメ横商店会組合、民団東京本部、忍岡小学校など台東区の関係者で埋められている。地域の総和を見るような麗しい光景である。

 1~2キロの再現行列あったが、日韓友好を効果的にアピールきたのではないか。韓国フードフェスタの正面舞台では国書交換式、日韓の演奏会も行われ、会場は盛り上がった。

 

 江戸入りした朝鮮通信使の宿泊地は、東本願寺あった。これを有する台東区は本願寺前に案内板を立てて、通信使顕彰に役立てている。また、アメ横商店街組合がソウルの市場組合と交流を行なって、活性化に弾みをつけていることが、舞台での当事者アピーチで紹介されていた。

 

 現代の通信使は、各界に存在する。2007年に始まった、ソウルから東京間を歩く「21世紀の朝鮮通信使SOULー東京 日韓友情ウオーク」(2年毎開催)には、まさにそう象徴である。

 韓国フードフェスの一角は、通信使ウオーク写真展(元朝日新聞カメラマン金井三喜雄氏撮影)が行われ、来年3月9日から始まる第10次通信使ウオークのPRも行なわれていた。