かつて麗水(ヨス)で世界博覧会が開催されているとき、JR九州の高速艇が博多―麗水の間に、臨時便を走らせた。世界博覧会開催期間中だけ運航されたが、これを利用して韓流ツアーを行った。そのとき、行ったのが高敞(コチャン)、全州(チョンジュ)、南原(ナモン)であった。高敞は世界文化遺産に登録された支石墓で知られるが、私が案内したのは、ハ・ジウォンが主演したドラマ『ファン・ジニ』のロケになった城壁であり、すぐそばにあるパンソリ博物館であった。

 

 どちらとも行ってよかったと思ったが、とりわけパンソリ博物館で、パンソリを芸術まで昇華させた申在孝(シンジェヒョ)を知ることができたのが大きな収穫であった。博物館の隣には、彼の住んだ屋敷も立っていた。

 

 パンソリは、「唄の広大」といわれ、庶民文化の華である。朝鮮王朝中期、第16代王・仁祖の頃、全羅道で花開いた。第21代の英祖以降、唱劇史に出て来る「広大列伝」によると、90人中、55人が全羅道出身者で占め、その中でも北道が南道の倍にもなっている。それほど、全羅北道ではパンソリが愛された。名唱には、朴万順、全世宗、全昌禄、金賛業らがいることをパンソリ博物館で知った。

 

 パンソリは「一人多役」の、いうならばオペラであるともいわれる。民間の庶民層から生まれた俗楽として、宮廷の雅楽と対照的な位置を占めた。申在孝は、古典文学を近現代の韓国文学へとつなぐ、橋渡しの役を果たした、パンソリ芸術中興の祖と評価されている。

 

 申在孝は、もう一つの顔をもつ。彼の家は千石ほどの穀物が取れる地主であった。地主ながら、蓄財に走らなかった。というのは、1876年(高宗13)、発生した大凶作に際して、穀倉を開けて、積んであった穀物を、飢えに苦しむ村人のために放出した。ここに全羅道の「全」の精神をみることができる。「全」とは、抱擁力があり、人情味が厚いといった精神である。

 

  申在孝が出て来る映画がある。ペ・スジ主演の『春、香る歌』(2015年公開)。男装をして申在孝のパンソリ塾に入って修行に励み、王宮・景福宮の慶会楼で歌い、時の権力者・興宣大院君に気に入られてたパンソリ界初の女流唄い手となった陳彩仙(チンチェソン)を描いている。物語には、互いに思いあう師弟の中が、大院君によって引き裂かれる悲哀がにじむ。この映画で申在孝の存在が広く知られるようになった。