韓国の演歌はトロットの特徴がある。「倭色歌謡」とみなされた「トロット」。その語源は、社交ダンスのフォックストロット(英: foxtrot)にあり、2拍子。日本の演歌のように感情を抑えた優しいメロディ・唱法とは違い、強く押しつけるようなものが大衆受けした。

 その代表的な歌手がキム・ヨンジャ(金蓮子、1959年~)である。これから記すのは、彼女と光州事件に関する話である。

 

 全羅南道光州市出身の彼女は、日本デビューしたものの、泣かず飛ばずの結果に終わり、3年間の日本生活を切り上げ、失意のうちに帰国する。そこに衝撃的な事件が発生する、1980年の光州事件である。朴正熙が狙撃されて死亡した後、政権奪取を狙う全斗煥が引き起こした事件である、

 

 ソン・ガンホ主演の映画『タクシー運転手』で、光州事件は描かれる。ドイツの放送記者を乗せ、光州に入り、記者と運転手は事件を目撃する。軍部が情報統制を行っているなか、二人は光州で何が起こっているか、その真実を伝えようと、軍の執拗な追跡を逃れてソウルに帰還する。ドイツの放送記者は、帰国後、光州事件の真相を流すことで、光州事件が世界に知られるようになる。これは実話である。

 

 キム・ヨンジャも、両親のいるソウルで、光州の親戚、友人たちの消息を掴めず、やきもきしていた。

 5月17日夜、非常戒厳令が全土に拡大し、全羅道を地盤する金大中ら逮捕された。これが引き金となって抗議デモが発生。全斗煥が投入した鎮圧部隊は、無差別殺人へと走り、死者189人、逮捕者は1740人にのぼった。

 キム・ヨンジャは、家族・親戚の安否を気付かい電話をするが、どうしても通じない。その後、知人が亡くなったことを知った。

 

 自分はどうしたらよいか。迷っているなかで、出会ったのが、『歌の花束』であった。ディスコのリズムに乗せて。韓国演歌30曲をワンコーラスずつメロディーで歌った。これが韓国のレコード史上最大の360万枚も売れる爆発的なヒットとなった。

 

 キム・ヨンジャは1974年、TBCテレビの「全国歌謡新人スターショー」で優勝し、「話してください」で歌手デビューして以来、山あり谷あり、持ち前の頑張りで歌手人生を切り開いてきた。その生き方が、金大中に似ていると本人は思ったという。

 金大中氏は拉致、死刑判決、亡命など危機的状況をはねのけ、4度目の挑戦で大統領になった、不死鳥のごとき人物である。

 

 かつてある番組で、キム・ヨンジャが、北朝鮮で生まれた『イムジン河』をソウルで歌ってことを知った。北朝鮮で生まれた歌を韓国で歌ったこと自体、画期的ある。学生運動が盛んな渦中、ザ・フォーク・クルセダーズがライブで歌い、学生の間に一気に広がった。

 しかし、レコード化は発売直前に朝鮮総連からのクレイムで発禁処分になっている経緯を知るとなおさら、キム・ヨンジャの『イムジン河』は奇跡のように思える。ただし、『イムジン河』を歌えるほど、時代は変わってきたことの証しである。