スペインの巡礼街道を歩いていたMさんは、足の故障があって、途中で完歩を断念した。昨日、こうメールが入った。

「皆さん、私は今、中間地点のサーグンというところまで来ました。が、徒歩巡礼は一旦打ち切り、鉄道でレオンに移動し、足の様子を見ながら旅を続けます、」

 これに対して、日本からの励ましは「失敗は成功のもと。断念しないで、再度挑戦を期待してます。お疲れさんです」。ほかにも、ねぎらいの言葉が多々あった。

 

 このメールを読み終わって、1時間後に釜山の南睦美先生(霊山大学)から突然、「こんにちは」とメールがあった。何かのついでに、誤って発信されたようだった。返事を送ると、「陳先生の福岡講演はどうなっていますか」と書かれていた。

 昨年3月末、21世紀の朝鮮通信使日韓友情ウオーク参加のため、ソウルに向かう途中、釜山で南、陳明順(チンミョンスン)両先生と会った。陳先生は霊山大名誉教授で、夏目漱石の研究者として知られる。

 

 釜山の地下鉄2号線・チャンサン駅近くの研究所を訪ねたが、研究に使った漱石関係の本がびっしり書棚に並んでいた。書棚は6段式で3方の壁面に立てられている。奥行20m、高さ8mの壁面を埋めた書棚に圧倒せられた。このような部屋がもう一部屋あり、ここでは茶道、坐禅をする場所と聞いた。

 書棚の本を見て、研究者して、どれほど漱石に打ち込んだかが伝わってきた。そのとき、いわれたのが、「九州・四国で日本の方々に漱石の話をしたい」だった。

 

 昨日の約束を果たすべく、そろそろ動きときか、と自分に言い聞かせて、8月3~5日の対馬行を提案した。朝鮮通信使行列と花火大会(以上、8月4日実施)がある厳原港祭りで再会できれば、いろいろと仕掛け(講演にむけての準備)が出来る。南、陳両先生は、いま、対馬行を検討中である。

 

 韓国の研究者が漱石を語る。これは面白いと思う。問題は、漱石と現代の接点である。長い時を超えて、心に響いてくる漱石の言葉は、一体何なのかである。

 

 陳先生からは、何冊か本を頂いていた。そのなかの一つ、『夏目漱石の小説世界』がある、論文6点で、1冊の本にしている。取りあげた漱石の小説は坑夫、『草枕』、『野分』、『三四郎』、『門』などである。

 陳先生の研究テーマは漱石と禅である。これがユニークで、日本の大正大大学院の博士課程で、書き上げた博士論文を、文芸評論家の江藤淳氏が「見たい」と電話をくれたほどである。

 

 陳先生の研究法は、どうも追体験を通じて、漱石の禅を読み解いたのではないか、と思うほどである。追体験するということは、ディーテールにこだわり、細分まで観察眼を働かせることに尽きる。

 

 『夏目漱石の小説世界』の序言にこうある。

 「禅はその性格からいっても、その自体に対する理解において難解である部分が多いので、真に作品の真意を解るためには禅を解って、その意味を理解してその文章を解読しなければならないと思う。特に漱石は直接禅を経験し、禅を身に付けてそれを取り入れているので、単純な言葉だけを用いているのではなく、その思想とともに書き込んでいるのに注意される」

 夏目漱石の作品を全て、禅という視点で読み解いて、漱石が作品に込めた真意を読み取ろうとした陳先生の、追体験志向の研究に興味が湧く。

 

 漱石同様に、禅を体験した経験を陳先生に聞きたいのと、漱石が辿り着いた『則天去私』という境地について、その誕生の経過である。混迷の時代に当たり、これを陳先生が語ること自体、大きな意義がある。『則天去私』は、禅体験から出た言葉なのだろうか。

 

 21世紀を迎えるに当たり、月刊『文藝春秋』は、次世紀に語り継ぎたい文学作品は何か、という質問を識者に尋ねた。1位には夏目漱石、2位に司馬遼太郎が入った。漱石から何を学ぶか、学ぶところが多いことから、識者は漱石に票を入れたのであろう。

 私は、愛読書を多く持つ司馬遼太郎はさておき、夏目漱石に対しては不勉強である。陳先生の福岡講演を実現させるためにも、漱石を読まなければと思い、書店で漱石作品を5冊買ったところである。

 

 陳先生の講演会は対馬から始め、福岡、熊本、松山(愛媛県)と数年間にわたって順次開催していきたい。そんな計画をしている。私がこう言えるのも、各地に協力者がいるからである。熊本、松山は漱石ゆかりの地であることから、陳先生は歓迎されるのではなかろうか。そう期待している。