「我らの仲間、М君がいま、スペインの巡礼の道、サンティアゴ・デ・コンポステーラの一人旅を続けています。出発して半月、魚の目に苦しんでるようですが、みなさんの激励をお願いします」

 21世紀の朝鮮通信使日韓友情ウオークで、昨年4月、韓国の道を一緒に歩いたМさんが、スペインの巡礼の道を歩いているとは、驚きだった。この計画は、長年あたためて、実現にこぎつけたものであるに違いない。思いつきで、やれるものではない。

 

 皆さん方の激励に、Мさんから次のようなメールの返信があった。

「毎晩10人部屋みたいな生活で感染症は怖いです、シャワーも一緒だし、朝鮮通信使の生活で鍛えられたおかげで、アルベルゲも愉しいと思えますよ。ただし、完全ジェンダーフリーです。」

 

 スペインでの宿泊は、集団生活を余儀なくされているようである。Мさんは既に、巡礼の道を半月歩いている。完歩するには、あと何日を要するのか。それを思うとスペイン滞在の費用もばかにならない。数十万円を要する海外遠征となると思うと、容易に真似のできない挑戦である。

 Мさんは、70代あったと思う。現役のとき、仕事で南極越冬生活も経験した国際派である。スペイン遠征は、それほどハードルが高くなかったもかもしれない。

 

 私の友人に、フランスからイタリアに通ずる巡礼街道を歩いた韓国人女性がいる。韓国で名の知られた文学者の娘で、現在、お歳は80に近い。若いとき、この巡礼街道を歩いた彼女は、その道々、教会でお世話になったと聞いた。それができたのは、ご本人がキリスト教の宣教師を勤めていたのが幸いした。世界どこにいても、共通の宗教を信奉していることで、愛の手が差し伸べられたようである。

 

 いまスペインにいるМさんも、韓国人女性も、我々の及びもつかない健脚の持ち主である。ただし、日々足腰を鍛えているから、海外遠征も可能になったといえよう。恵まれた体格があっても、それを磨かなければ生きてこないからだ。

 Мさんの魚の目は、ひどいのか。「きょう診療所へ行ってみました。消毒された程度でした」という便りがメールで届いている。

 これほどまでに、私は歩いたことがないので、魚の目によるしんどさが分らない。何とか、痛みを克服して、完歩してほしいと願うことしかできない。

 

 何に執着するか。人それぞれである。執着するものにもよるが、時間限定(制約)というのが付きまとう。それは体力である。いつまでも、丈夫な体力を維持できない。頑強な体でおれない。だから、体力があるうちにやらなければ、願い、夢は叶わないことが往々にでてくる。

 人生設計を描くことが大事になるのは、このためである。

 

 Мさんは70代で、スペイン巡礼の道を歩いている。いつ、それを計画したのか知らないが、夢は半ば達成した感がする。あとは完歩。障害を乗り越えて、健康な体で帰国されることを祈りたい。