司馬遼太郎の『街道をゆく』(全42巻、朝日文芸文庫)は、日本の歴史・文化、アジア史を探究する上で、大変参考になった。゛旅する巨人゛として知られる民俗学者・宮本常一(山口県周防大島出身)の本とともに、大事にしている。

 ただ、司馬については、なぜ博識な彼にも偏りがある。もしくは、知っていて詳しく話さないのか、という不満をときに感じる。その最たるものは、鎌倉仏教、とりわけ日蓮上人についてである。

 

 駐日アメリカ大使を務めたこともあるエドウィン・O・ライシャワー(1910~90、ハーヴァード大教授)は、円仁(慈覚大師)の『入唐求法巡礼行記』を研究したことで知られる。日本人で、これほどまでに深く研究した人はいない。大著『明治天皇』を書いたドナルド・キーン氏とともに尊敬している。

 その彼が、日蓮上人に興味を抱いている。司馬遼太郎との対談で、次のように語っているのである。※引用文は、『対談集 東と西』(朝日文芸文庫)による。

 

 「日本人としてはちょっと異例な性格の持ち主だった」「日本人に珍しく、非常に強烈な個性の持ち主であった」「他の宗派に対しては非常に厳しい不寛容をもって臨んだ」「なぜ、ああいう他の日本人とあまりにも性格の異なる稀有な日本人が現われたのか」

 

 このライシャワーの発言に対する、司馬遼太郎の意見は次のようなものである。

「私は日蓮のことはほとんど知らないんですけれども(中略)一つ思い浮かんだのは漁民の出身だということ」「漁民出身の知識人というのは非常に少ないんです」「日本歴史の中で、漁民出身の知名な人物といったら、日蓮さんしかないですね」

 

 司馬の答えは、この程度である。寂しい限りである。彼は、小説『空海の風景』を書くほど、仏教にも造詣が深い。「中国、朝鮮は、漁民をまったく除外した農業帝国および農業王国でした。中国は、漁民出身者は科挙の試験を受ける資格はない。朝鮮も同じですね」という司馬は、「漁民というのは、知識人社会に人を送り込まなかった」という。その中で、日蓮上人は異端的というわけであろう。

 

 いかに博識でも、やはり偏りがある。好き嫌いがある。国民作家として人気ある司馬にしても、その傾向は否めない。要は万能ではないということである。

 ライシャワーのこの素朴な疑問に応える、もっと突っ込んだ対談を聞きたいものである。