「桜咲くソウル・京畿道へ」の旅で、朝鮮王朝の3人の国王の事績に触れることが多かった。世宗(第4代王)、宣祖(第14代王)、高宗(第26代王)。幸州山城、徳寿宮、世宗大王記念館を行程に入れていた関係で、クローズアップした。3人のなかで、世宗が盛んにドラマに取り上げられている。「大王世宗」「根の深い木」「チャンヨンシル」「龍の涙」「インス大妃」など。ハングル創製で抵抗勢力と争い、奴婢出身の発明家・チャンョンシルを宮廷に入れた改革論者である世宗の起伏ある生涯が、ドラマになるのであろう。ちなみに、ドラマ向きの歴史上の人物は、秀吉軍と戦った李舜臣将軍がナンバーワンの人気である。

 

 今回のツアーには、ロッテ観光のベテランガイド(観光通訳案内士)が3日間、世話してくれた。何がきっかけになったか思い出せないが、朝鮮王朝の歴代27人の国王の名の覚え方を、少しだけ伝授してくれた。それを聞いていて、やはりドラマに登場する国王は身近であり、名前もすぐ思い浮かぶが、そうでない国王は記憶の外にあることを感じる。

 

 例えば、睿宗(イェジョン、第8代)、仁宗(インジョン、第12代)、明宗(ミンジョン、第13代)など。

 睿宗は「天下」「経国大典」を完成させているが、19歳で死去。仁宗は、5歳で世子に冊封され、29歳で国王になるが、即位後8カ月後に死去している。明宗は在位22年と長いが、母の文定王后とその弟・尹元衡(妻は朝鮮3代悪女の鄭蘭貞=チョンナンジョン)に政治の実権を奪われ、不本意な執政を余儀なくされた。

 鄭蘭貞は「女人天下」「林巨正」などに描かれているので、明宗その背後の人物として登場しているのかも知れない。

 

 この旅で、最初に訪ねたのは高陽市にある幸州山城(ヘンジュサンソン)であった。月曜日は休園日で山頂に登れなかったが、入り口に立つ絵地図で概要を知ることができた。入口正面の向こう側には、秀吉軍の攻撃を阻み、撤退させた権慄(クォン・ユル)将軍の銅像が見えた。

 

 幸州山城に戦いは、韓国の歴史を題材にした小説をよく書いている荒山徹氏の『禿鷹の要塞』に描かれている。

 秀吉の朝鮮侵略で、朝鮮が勝利した戦いである。これには僧侶も加わっており、松雲大師も登場する。戦いは熾烈を極め、山城に立て籠る朝鮮側は四つの城門から攻められ、追い詰められていた。秀吉軍は鉄砲の破壊力で、厚い城壁をも砕くほど。小西行長は落城が近いと思うが、土壇場で形成は逆転する。

  

 山城には女性も立て籠っていたが、「女に何ができる」と朝鮮の部将も戦力外とみなしていたが、さにあらず、石を城壁から滝を流し落とすがごとく転がすことで、秀吉軍に致命傷を与える。やむなく、秀吉軍は、この戦いを諦め、退却することになる。

 キリシタン大名の小西行長は、戦場で次のような想念を抱く。

「彼はこの幸州山城の一戦だけでなく渡海しての遠征そのものを、数世紀も前の歴史的な壮図である聖地エレサレム占領戦に擬していた。」

 幸州山城の戦いは、秀吉軍3万人に対して、朝鮮軍5000人が激突した戦いであった。この戦いの意味するところは大きい。その後、形勢を大きく変えていくことになる。

 

 初めて幸州山城を訪れ、初めて権慄将軍の名を耳にしたという方々がほとんどだった。