北部九州から、韓国・釜山までは高速艇で4時間足らず、飛行機では40分で行ける。玄界灘を挟んで、お互いとても近い。行き来する観光客も多い。

 在日コリアンも慶尚道出身者が多く、一世の時代、墓参りに帰郷する人が多かったし、親戚・縁者が北部九州を訪ねてくることもしばしばあった。

 釜山は北部九州、在日コリアンにとって身近な都市であり、その変化の様子も、定点観測するように比較できるようである。

その比較論から「変わる釜山」とは、どのようなことか。「変わらない釜山」も同様にどうなのか。考えてみたい。

 日本からの観光客誘致に、日本語で書かれた月刊『ダイナミック釜山』が刊行されていた。それも参考にして、描いてみたい。

 

《釜山の特徴》

●坂が多い街、●海と山が身近、●海産物が新鮮で美味しい、●リゾート地がある、●夜景が楽しめる、●温泉もある、●歴史を感じられる、●市場が点在する、●大学も多い

 

 ここから「変わる釜山」の要素をとりだすと、特徴的なのは観光並びに土地開発である。海浜部を中心に、海雲台の廃線を利用した観光列車運行、海上゛散策 ゛を楽しめる松島海岸のゴンドラをはじめ、万博誘致に名乗りを挙げたことから釜山港湾部の開発は語り草になった。

 「候補地に決まったわけではないのに、決まったかのような開発が盛んにおこなわれている」、と。

 また、国際都市・釜山を訴求するために、国際映画祭が開かれているし、海外からの留学生誘致、アジアでも屈指の港湾都市、ハブ港としての役割も大きい。現在、金海空港に代わる新たな国際空港として加徳島が建設候補地として注目されている。

 

 「変わる釜山」の背後には、「パリパリ精神」があるのではないか。その意味は、急げ急げの精神となろうか。

戦後、長く続いた軍事政権の後に文民政権が生まれ、「日本に追いつけ」「日本を追い越せ」と努力を重ねて、韓国は急速に経済発展を遂げた。「パリパリ精神」の賜物である。その間、金大中大統領時代、IMF危機が表面化したが、それも見事に跳ね除けた。特色ある国づくりをめざし、ITで世界を引っ張る国ともなった。

 

 かつて、留学生として来ていた釜山の女子大生に、「パリパリ精神」を賛美する話をしたところ、「そうでしょうか」という怪訝な顔をされた。韓国では、幼いころから習い事を強いられ、人より上を目指せとばかりに、過酷な受験戦争に巻き込まれる。その息苦しさに、カナダやアメリカ、はたまたオーストラリアやニュージーランドなどに移民する人が後を絶たないと聞く。

この留学生は「急げ、急げの空気に気疲れしてしまい、自分を見失しかねない危険性もあります。少し余裕がほしい。留学には、そのような目的もあります」と話してくれた。

 

 韓国には、受験戦争が終わると、男子には徴兵制がある。分断国家につきまとう悲劇ともいえる。遊び盛りの青春期に、約2年間を軍隊生活に縛られるのである。避けては通れない。そして、就職戦争。近年、ソウルの名門大学を卒業しても、なかなか思うように就職できないそうだ。

 

 韓国も就職難の時代にある。非正規社員は、日本よりも多い。日本と同じように自殺大国で、若者の自殺も増えている。

 こう悲観的なことをいうと、韓国は息苦しい国のように思えるが、韓国人は、いたって楽観的である。「ケンチャナヨ」と笑い飛ばして、走り続ける。