世阿弥の能の理論書『風姿花伝』を開くこともなかった。日本最古の能楽論であり、演劇論である。半世紀前、大学の国文学概論で、岩松研吉郎助教授の講義を聞いた。難しい内容であったが、のちにマンガ『サザエさん』を研究する「東京サザエさん学会』の代表を務めるほどのこともあり、雑学をまじえた講義は面白かった。

 その『風姿花伝』は、積み上げた本棚の中にある。この本を、在日の研究者・姜在彦(カンゼオン)氏が紹介しているのが意外だった。

 

「秘する花を知る事。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

 

 生き方を説いた言葉にようにも見られる。姜在彦氏は、日韓の国民性の違いを考えるなかで、引用していた。

 

 美しい花があればできるだけ多くの人に見せびらかし、ほめてもらいたい。これが韓国人の心情という。日本人にも、これはあるのではないかと思うが、気配りの細やかさから日本人は控えめという。これを組織論にまで、姜在彦氏は広げている、

 「日本人は『和』のために『個』をおさえるが、韓国人は、たとえ『和』がこわれても、『個』を主張する傾向が強いようである」

 

 釜山留学時代、日本に留学したことのある大学院生から、「釜山の気質と、大阪の気質はよく似ていています。裏表がないこと、本音と建前がないことが」と聞いた。それを聞いて、「気取りの文化が、お互い無いことか」と思った。

 韓国人にも、本音と建前はあるにはある。しかし、それが希薄。「建前を設けて、本音を隠しておく暇がない。どうしても直上径行になりがちである。つまり、裏表がないことになる」(姜在彦氏)

 

 日本人の美徳として、「奥ゆかしい」「控えめ」「謙譲」などが思い浮かず。韓国人のそれは「ストレート」「直情的」「激しい」「情が深い」などであろうか。

「日本人と韓国人の美徳を足して二で割れば、理想的といえるでしょう」(釜山の大学院生)

 

 4月、韓流ツアーの折、元ソウル市役所職員が案内人として入ってくれる。彼は上記の性格が感じられる、典型的な韓国人である。仁川から高陽経由、ソウルに向かう貸し切りバスの中で、日韓比較論を聞いてみたい。ちなみに彼はソウル市の東京事務所に3年間勤務し、その間、日本47都道県をすべて訪ねている。

 

 「韓国人は感情や本音をストレートに発散し、それによる摩擦をもいとわない。しかし意気相投合すれば十年の知己のように自己露出的になり、プライベートの垣根を取り払ってしまう。限りなく接近しなければ、お互いの『情』を実感できないのである」

 この姜在彦氏の言葉には納得できる。もう25年に及ぶ元ソウル市役所職員との関係を振り返ると、それがほぼ重なる。