「ハジョンウン美術館、日本新聞5・18アーカイブ展示に゛視線゛」。去る3月4日付の全南日報に載った記事を、奈良市在住のジャーナリストの川瀬俊治氏がメールで送ってきた。前文にこうある。

「ディアスポラ企画展「刻む記憶」暴動―民主化運動に論調の変化。川瀬俊治、現地関連記事収集。朝日新聞など150点網羅」

 

 ハジョンウン美術館は、全羅南道の光州市立美術館の分館である。ハジョンウンとは、在日二世の美術コレクターとして知られる河正雄氏(東大阪市生まれ)のこと。在日の実業家として成功し、収集した同胞の美術作品を、光州市立美術館に寄贈した。それが基となって、分館には河氏の名前を冠とした美術館が誕生した。

 河氏は光州以外にも、ソウル、釜山。全州、済州島などに収集した作品を数多く寄贈しており、霊岩郡(全羅南道)にも郡立河正雄美術館がある。

 

 全南日報の新聞記事の話に戻る。5・18とは、1980年に発生した光州事件である。全斗煥が、側近の銃弾に倒れた朴正熙大統領の後継の座を狙って、クーデターを起こす。その一環として、政敵・金大中氏を倒すため、彼の地盤である光州市で、北朝鮮の親派が暴動を起こしたとして、弾圧に軍隊を派遣した。

朴正熙大統領殺害事件後、「民主化」をめぐって学生デモが各地で起こった。政府・郡当局と学生に対立は、崔圭夏大統領の帰国を促し、在野勢力指導者、各界の知識人が学生支持を打ち出し、共同声明で6項目を要求した。戒厳令の解除、政府主導の憲法改正作業の停止などで、最後に全斗煥指令官のKCIA部長代理兼職の解除も盛り込まれていた。

 

 政府と軍当局は、どう対応したか。金大中氏や学生代表を連行し。戒厳令を全土の拡大して、政治活動などを禁止する手を打った。さらに、5月18日、光州事件が発生する。全斗煥が画策して軍を動かし、デモを鎮圧するばかりか、市民にまで銃口を向け、無差別殺人を誘発させている。

 

「韓国光州/市民加え暴動化/学生デモ 軍が鎮圧、死傷者も」(朝日新聞、ソウル19日=藤高特派員)

 これが光州事件を報じる初出の記事である。以後、連日のように報道が続く。

 

「双方で11人の死者/韓国・光州 昨夜も騒乱状態」「デモ隊、軍と銃撃戦 韓国・光州市内に20万人」「武器奪い死傷多数/木浦・羅州に拡大か」(ソウル21日)

 

 日本から、光州市での結婚式に参加して事件に巻き込まれた神奈川県在住の夫妻がいた。何とか光州を脱出して、無時に帰国したこの夫妻に、朝日新聞が電話取材した内容から、光州事件の実態が浮かびあがる。

 「光州に派遣されていたのは特別に訓練された軍隊らしく、非常に手荒だった、との評判だった。軍隊にたてついたデモ指導の女子高校生が乳房を切り落とされたとか、生徒を殺された校長が「お前らそれでも人間か」と抗議したらその場で殺された、子供二人が軍隊に殺された母親が後追い自殺した、という話をいくつも聞いた。」

 以上が、神奈川在住の夫婦が語った証言の一部である。

 

 川瀬俊治氏は、在日の画家・金石出氏とともに、光州事件が日本でどう報道されたか、大阪国会図書館に通って検証した。収集した新聞は朝日、読売、毎日など150点。

 これを通して、光州事件がどう国外に伝わっていたか、論調として事件をどうとらえていたかが見えてくる。

 海外の新聞を通して、光州事件を捉え直す試みは、「今回が初めて」とホンイナ氏(前5・18民主化運動記録館館長)は語っている。「初めて」というのが意外であった。この言葉には、光州事件を伝えた日本の新聞記事を連続性のある、体系的な形でまとめたことが、という但し書きがつくのではないか。

 

 ソンガンホ主演の映画『タクシー運転手』では、偶々ながら光州入りしたドイツのテレビ記者、事件に出くわす。事の重大さに衝撃を受け、これを世界に伝えるべく、軍の妨害・追手を払い退け、ソウルに戻る。無時に国外脱出、帰国した彼はテレビで光州事件の真相を伝える、という物語である。これは実話に基づいた作品であると聞いている。

 

 光州事件をどう読み解くか。映画『タクシー運転手』もその一例だが、川瀬俊治、金石出両氏の粘り強い作業は、5・18光州事件を新しい視点で迫る一つの方法を提示したようである。