青瓦台は、言わずと知れた韓国大統領府が置かれた建物である。その名称は、官邸の屋根が青い瓦で葺かれていることに由来する。政務がとられたのは、閉鎖される2022年5月9日まで。大統領府は龍山区の国防部庁舎内に移転された。この時点で、大統領府という名称は「大統領室」に改名された。

 これは選挙公約に掲げて大統領に当選した尹錫悦氏によって実施された。

 

 尹錫悦氏は青瓦台を「帝王的権力の象徴」と呼び、権威的な外観が国民との距離を遠ざけている印象を与えるなどと、移転の理由を述べている。すでに、前の文在寅政権でも移転が模索されていたという。

 風水師からも、「青瓦台の地は権威主義的で、外勢の干渉と下剋上の気を孕んでいる」という指摘があった。

 青瓦台が、現在のように国民に開放されたのは、大統領の任期がスタートした2022年5月10日からである。

 

 李成桂による朝鮮王朝の建国で、開城にあった高麗の都が遷都されて、ここに移ってきた。都は漢城(ハンソン)といわれた。景福宮という王宮が造営され、周辺に官僚たちの邸宅が建った。

どこに遷都するか。それを選ぶ決め手となったのは、風水地理思想(風水説)である。ここから姜泳琇(カンヨンスウ)著『青瓦台の風水師』を引用しながら説明したい。

 

 風水地理思想は、「環境が宗教や思想を決定するという文化環境論的思想の一つで、東洋の風土から生まれた独特のもの」「小は個人の住居と幽宅から、大は国の政治と社会、そして歴史にまではかり知れない影響を及ぼしました」(姜泳琇氏)

 

 風水地理思想として、次のように説明されている。

「人間に及ぼす地気の作用を信じ、山脈、陵、水流などの地勢を観察して、さらに陰陽五行や方位をも考え合わせて、最も吉相と見られる地を選び、これに都城。住居、墳墓をつくらせる地相学、宅相学、墓相学をいう」(平凡社刊『朝鮮を知る事典』より)

「5千年の歴史を通じ、韓国の民衆の間に最も広く拡まり、その生活を最も強く支配した思想は、仏教でも儒教でも、キリスト教でもなく、風水地理思想だと思います」と姜泳琇はいう。

 

 高麗時代、妙清(ミョチョン、僧)の乱が起こるが、そのきっかけは風水地理思想による遷都をめぐってだった。開城から西京(平壌)へ遷都して、王朝の中興と国運の再隆盛を図るべきではないかと主張する妙清は、反対派の攻勢で、西京への遷都を残念した。しかし、腐敗した、無能な支配層に我慢がならず、武装蜂起した。

 この遷都をめぐってぼっ発した内乱は、1年2カ月にも及んでいる。

 

 韓国の歴史を振り返ると。風水地理思想が、いかに韓国で絶大な影響力を持っていたかが、うかがえる。

 一国の大統領の居所をどこにおくか。尹錫悦大統領が、青瓦台を移転させたのは、ソウル市街地の中でのこと。ソウル市外に出ることはなかったので、風水師からも批判はなかったようである。「青瓦台は、広すぎて実務に適していない」という指摘は、かねてから存在していた。