1980年代以降、通信使ゆかりのまちでは、通信使行列が各地で再現されてきた。時代装束や通信使の高官が乗る輿をつくり、往時の様を再現した。

 しかし、海路を行った通信使船復元は巨額を要するため、実現の可能性なぞ論外であった。それが韓国・全羅南道の木浦(モツポ)の国立海洋文化財研究所で建造に向けて準備中というソウル発共同電が、2017年1月5日の西日本新聞・夕刊1面に大きく載った。

 建造の目的は「朝鮮通信使による善隣外交の精神を実際の航行で再現したい」とある。これを読んだ朝鮮通信使縁地連絡協議会理事長の松原一征氏は、数日後に木浦へ向かい、同研究所で建造にかかわる研究士から説明を受けながら見学した。

 

 実は、2012年から16年にかけて、日韓の民間団体共同によって「朝鮮通信使をユネスコ記憶遺産に」と登録申請活動を行っていた。そして、問題がなければ、2017年に初のユネスコ登録が達成できそうなときを迎えていた。まさに、木浦での朝鮮通信使船建造は、この登録申請事業と連動したような動きであった。

 建造費は、韓国文化庁から2億3000万円の国費が充てられている。建造主体は国である。これは、すごいことだと松原氏は思った。

 

 2017年10月、復元通信使船は進水し、日本に初めて向かう対馬までの航海を計画していたが、日韓の険悪な政治状況、さらにコロナ禍で足止めされた。

 2023年8月4日、ついに厳原港に姿を現したときの感動を、松原氏は忘れることは出来ない。それほど、大きなインパクトがあり、通信使船の存在感を改めて実感した。江戸時代には、3艘の大型船が入港するわけだから、話題を呼ぶし、見物人も大変な数になったと思う。