金を稼ぐことは大変のようで、そうでもない。それ以上に難しいのは、金の使い方、使い道である。そういったのは、民俗学者・宮本常一(山口県周防大島出身)の父親だった。金の使い方で、その人の評価は高くも、低くもなる。このようなことを、親が子どもに諭した教訓として、私は記憶している。

 

 豪商という言葉がある。商いで成功し、財を為した商人を指す。現代でいえば、富豪が相当するのであろう。彼らが資産(財産)をどう使ったか。それによって、人間の器が見えてくるような気がする。

 韓国・サムソン会長の李健煕(イ・ゴンヒ)氏の死去を報じる記事を思い出した。遺産総額と相続税が巨額なのに驚いた。日本円にして、遺産総額は約2兆5千万円、韓国で歴代最高額という相続税は約1兆1700万円。そのため、遺族は5年間かけて、分割納付するそうである。

 

 遺産の中で注目されたのは、2万3000点にのぼる美術コレクションである。そのなかには、国宝や重要文化財に指定された古美術品もあるという。資産にものをいわせて、買いあさったものである。

 

 資産家で、コレクションというように、趣味として収集の道を楽しんだ人が多くいる。例えば、松方コレクション。実業家の松方幸次郎(鹿児島県出身)が1910、20年代にかけて収集した美術コレクションで、その数は1万点を超えた。収集に注ぎ込んだ金は巨額であったと推測する。

 

 コレクション以外に、資産家の金の使い道で、思い当たるのがパトロンの道である。芸術家を支えて、才能を開花させる。資産家に権力者も含ませて、考えてみると、日本で浮かび上がるのは、以下のような人間模様である。

①雪舟と大内氏、②中村内蔵助(くらのすけ)と尾形光琳、③三井家と円山応挙、④高井鴻山と葛飾北斎、④原三渓と岡倉天心の日本美術院、⑤大原孫三郎と児島虎次郎など。

 

 韓国ではどうか。①朝鮮王朝初期に、安平大君李瑢(イヨン)安堅(アンギョン)、②(カン)()(ファン)と職業画家、③国王・正祖(チョンジョ)(キム)弘道(ホンド)(図画署の画家)、④金漢(キムハン)()(訳官)と金弘道、⑤金正喜(キムジョンヒ)(号・秋史)と書画家グループ、⑥チョンソンと金昌翕(キムチャンフプ)李秉(イスン)(ヨン)、⑦金光遂(キムグァンス)(ヒョン)()沈師(シンサ)(ヂョン)

 各項目の後ろにある名前が芸術家である。韓国では、国王、両班官僚といった上層階級がパトロンとなって芸術家を育てている。ここが日本と違うところである。階級制が厳しい朝鮮王朝時代、商人は趣味の世界を楽しむまでには踏みこめなかったようである。

 

 いま、福岡の豪商、資産家のことに思いを巡らせている。近世の博多三傑(神屋宗湛、嶋井宗室、大賀宗九)や近代の炭鉱王である。彼らの金の使い道は、何であったのか。彼らの残したものに何があるのか。

 

 「秀吉が、『金はいくらでも貸すから大々的に商売してよろしい』と、宗湛に言っています。秀吉は、その当時日本全国の金(きん)を1人占めしたぐらいの財産家です。その秀吉からふんだんに金(かね) を借りて商売をしたんですから、相当にもうけたとは思いますね…。」

 これは商業史が専門で博多三傑にも詳しい武野要子・福岡大名誉教授の話である。

 その「相当にもうけた」金を、宗湛はどこに使ったのだろうか。