開国期を迎えた激動の時代は、第26代王・高宗が国王のときであった。国政は父親の興宣大院君と王妃・明成皇后(閔妃)の確執で混乱し、宗主国の中国のほか、ロシア、日本が付け入る隙を与える。この時代を描いたドラマは『明成皇后』『名家の娘ソヒ』、『李済馬(イジェマ)』、『緑豆の花』、『済衆院(チェジュンウォン)』などがある。

 『李済馬』と『済衆院』は、医学をテーマにしたドラマである。高宗の時代、米国の医師が朝鮮に入って、西洋医学を伝える。それに対抗して、日本も『漢城(ハンソン)病院』を開設する。

 朝鮮への西洋医学導入とともに、日本の植民地支配に至る過程が描かれている、日本人には、見ていてつらいドラマでもある。

 

 私は、物語性の面白さにもひかれ、最後までみてしまった。最下層の白丁(ペクチョン)出身の主人公が朝鮮初の西洋外科医になるのが、痛快事である。ヒロイン役の女優ハン・ヘジンの魅力にもひかれた。

 

 ドラマの終盤、義兵隊が組織され、朝鮮支配を目論む日本人に抵抗する民族運動が起こる。そのとき、医師はどうすべきか。義兵隊長がいった言葉が印象的である。

 「小醫(医)治病、中醫治人、大醫治国」

 意味するところは、普通の医者は病を治し、良い医者は人を治し、偉大な医者は国を治す(直す)。医者は、その役割・使命としては患者を治療することである。もっともなこと。しかし、治すことが、何につながるのか。病んだ国を治す医者でもあり得る。大醫治国は、その気概をいっているのであろう。

  

 日本の医者で、本職以外でも活躍した人物をあげると、本居宣長、森鴎外、なだいなだ、加賀乙彦、松田道雄、北杜夫などが浮かぶ。私の知る人物は、精神科医が多い。弟子を育てたり、評論活動を盛んに行った。彼らの営為は、社会の病巣をえぐる啓蒙活動といっていい。

  

 いま福沢諭吉を読んでいるが、彼の思想家としての第一の事業は、どこにあったか。小泉信三は『福沢諭吉』(岩波新書)のなかで、こう述べる。

 「当時因襲の久しい封建門閥の制度と、その思想形態とも見るべき無生気な儒教の拘束のもとに、人心がただ順応と屈従とに慣れて、萎靡沈滞に陥っていたのにたいし、一方には科学の導入によってその迷蒙を破り、他方にはそれと不可分のものである独立心の鼓吹によって自尊自重、創始責任ということの何であるかを知らしめることが、彼の主力を注ぐところであった」

 

 明治維新後、まだ江戸期の儒教思想の風が強く残っていた。当然のことであろう。「新しい時代がきた、旧来の価値観を捨て去ろう」と、声高にいってもすぐさま出来るものではない。西南戦争をはじめとする士族の反乱も、それを物語っている。福沢は、その「無生気な儒教の拘束のもとに、人心がただ順応と屈従に慣れて、萎靡沈滞に陥っていた」風潮に切り込んでいった。

 

 『済衆院』の話にもどるが、白丁出身で西洋外科医になった主人公ファン・ジョン(劇中、ファン先生と呼ばれる)は、実在の人物、朴瑞陽(パク・ソヤン)をモデルにしている。

 彼は漢城(現ソウル)生まれ、白丁出身。医学校・済衆院の一期生で、中国東北部に救世医院を開業したことも。植民地支配に抵抗する独立軍への医療救助にも尽力。東亜日報の記者としても活躍した。韓国では、朴瑞陽のことを大医(テウィ)と呼んでいる。