2017年10月末にユネスコ「世界の記憶」遺産登録が決まった折、朝鮮通信使縁地連絡協議会(以下、縁地連)理事長の松原一征さんが、新聞各紙に大きく取り上げられ、「ときの人」になった。その松原さんの聞書き『朝鮮通信使に掛けた魂の軌跡 ~松原一征ユネスコへの道~』(嶋村初吉編著)が、大阪の東方出版から刊行されることが決まった。

 いま、出稿前の修正作業に追われている、

 そこで、松原さんの人柄と事績を一部紹介したい。

 

 松原一征さんは、通信使ゆかりのまちで1995年に結成した縁地連の発足時から理事長を続けてきた。いま30年にもなろうとしている。松原さんは長年、対州海運の社長業と通信使顕彰事業をバランスを取りながら堅実に進めてきた。

 対馬市の行政関係者、縁地連の会員や、周囲の人たちは、それがどれほど大変だったかを知っている。

「松原さんの通信使への入れ込みはすごかった。後世、語り草になるはず」「二足の草鞋とは大変だったでしょう。これも松原さんだから、やれた」

 そのように、評価する声が聞かれる。

 

 松原さんは対馬出身。福岡大経済学部卒業後、民間会社を経て29歳で海運会社を起した。数年後、壱岐沖で自社の貨物船が沈没する事故も発生し、苦境に陥ったともあるが、持ち前の胆力と底力で乗り越え、対馬屈指の優良企業に育てた。

 1990年、来日した盧泰愚(ノテウ)大統領が宮中晩さん会で対馬藩の外交官、雨森芳洲を称える演説をしたのを聞いて、通信使を通じた地域起こしに乗り出した。対馬の地域史研究者・永留久恵氏との出会いを契機に、対馬の歴史・文化研究に取り組み、いかに通信使が対馬の宝であるかを知った。

 

「毎年1回、ゆかりの町で全国交流大会を途切れることなく続けてきたのが、私の自慢の一つです」(松原さん)。1995年の縁地連結成以来、日本各地のゆかりの町との交流、さらには海峡を超えて釜山との友好活動に尽くした。釜山文化財団の初代代表理事を務めに姜南周氏との長年の友諠にも応えた。姜氏は詩人として知られ、釜山の朝鮮通信使祭り゛生みの親゛である。秀吉の朝鮮侵略で、日本に連行、抑留(4年間)された儒学者カンハンの子孫である。

 

 釜山文化財団と縁地連が5年間かけて取り組んだ、通信使のユネスコ「世界の記憶」遺産登録申請。2017年10月末、登録が決まった折、マスコミを通じて全国に、松原さんら関係者の喜びの声が紹介された。「5年間、登録に向けて努力した苦労が報われた。通信使の平和の精神を世界に広めていたい」と松原さんはいう。

 通信使を通じた日韓友好、対馬のために尽くし松原さんには、その功績に対して日韓政府から勲章や功労賞が数々授与されている。

 

 戦後、埋もれた通信使の歴史を掘り起こしたのは李進熙、辛基秀両氏をはじめとした在日研究者である。とりわけ、映像作家でもある辛基秀氏は映画『江戸時代の朝鮮通信使』を製作し、各地で上映活動を続け、通信使を広めた。縁地連結成にも積極的に協力してきた。 

 しかし、時代の波に洗われ、多くの仲間が亡くなった。辛基秀氏もその一人である。

 

 対馬には、2021年に朝鮮通信使歴史館がオープンしたのに伴い、辛基秀氏の功績を入口のパネルで大きく紹介した。同館は松原コレクションの展示をメーンにした施設であり、「通信使研究の先駆者、地域おこしのアドバイザーであった辛基秀氏を抜きにしては、語れない」という松原氏の熱い思いが形となった。

 30年を振り返って、松原さんはこう話す。

 「若くしてロータリークラブに入り、人のため、地域のために尽くす精神を学び、実践してきた。この精神は通信使にも、当然ながら反映している。対馬の先人、陶山訥庵、賀島兵介、雨森芳洲などを引き続き顕彰しながら、これからも郷土愛とは何かを若者に伝えていきたい」

 

 松原さんの理事長退任が昨年11月、大阪市内で開かれた縁地連理事会の席上、自ら表明された。

 松原さんの通信使を中心にした半生記『朝鮮通信使に掛けた魂の軌跡 ~松原一征ユネスコへの道~』は、松原さん自身の事績と縁地連の歴史を伝える資料になるのではないかと思う。それがため、ここ数日、力を入れて修正作業を行っている。

 今回も、出版を後押してくれたジャーナリストの川瀬俊治さん(奈良市在住)から。「健筆を祈る」とメールが届いた。電話で、さらに「記録として残る貴重な本になるので、手を抜いたらあかんで」と忠告された。

 

 東方出版からは3年前、『朝鮮通信使の道 ~日韓つなぐ誠信の足跡~』を刊行しており、今回で2冊目となる。韓国で有名な法頂の『無所有』(金順姫訳)を出版した同社には、韓国シリーズも多い。同社の協力を得て、在日コリアンも多く、通信使ゆかりの町も多い関西発で、出版できることはありがたい。

 関西発で、韓流の原点となった朝鮮通信使を改めて広めていきたいと思う、