内村鑑三が1908年(明治41)、英語で5名の日本人を西欧社会に紹介した『代表的日本人』。5名とは西郷隆盛(新日本の創設者)、上杉鷹山(封建領主)、二宮尊徳(農民聖者)、中江藤樹(村の先生)、日蓮上人(仏僧)である(カッコ内は、内村の注釈)。なぜ彼は、この5名を選んだのか。それが気になり、『代表的日本人』を精読した。

 

 はじめに、のなかに「わが国民の持つ多くの美点」「わが国民の持つ長所」を「外の世界に知らせる一助に」と書かれている。また、ドイツ語翻版後記にこうある。

 「私は、宗教とはなにかをキリスト教の宣教師より学んだのではありません。その前に日蓮、法然、蓮如など、敬虔にして尊敬すべき人々が、私の祖先と私とに、宗教の真髄を教えてくれたのであります。何人もの藤樹が私どもの教師であり、何人もの鷹山が私どもの封建領主であり、何人もの尊徳が私どもの農業指導者であり、また何人もの西郷が私どもの政治家でありました」

 

 内村鑑三にとって、『代表的日本人』5名は各界の代表者であったわけである。

 当然ながら、各界から異論が出てもおかしくない。「我々のリーダーがなぜ選ばれなかったのか」、と。これを、内村鑑三は既に予見していたようで、「本書のような試みが何度も必要なのです」で『日本及び日本人』の序文に記している。

 

 『代表的日本人』が刊行された1900年代初頭、日本は海外で広く、深く知られていなかった。時代環境もある。それと、日本に押し寄せる西洋化の波のなかで、どのように日本人として生きるべきかを模索した時代でもあった。そのような世相のなか、内村鑑三は一石を投じた。

 読んでいて、後者に共鳴を覚える。いつの時代も「どう生きるべきか」という生き方が問われる。

 

 いまの時代、代表的日本人として5名をあげろといわれたら、戸惑うであろう。絞り切ろうにも、絞り切れない困難さを感じるに違いない。結局は。自分の趣味、好き嫌いで選んでしまうのではなかろうか。

 内村鑑三が選んだ5名。その人物評価を、彼はどう下しているか。それは一度、『代表的日本人』を読んでいただきたい。

 

 内村はキリスト教徒である。しかし、仏教界から一人だけ、代表的日本人を選んでいる。日蓮上人である。なぜ、と思い、彼の人物評価を読むにつれて、「みずから日本における『キリスト教の日蓮』たらんとの志が窺われる」という鈴木範久氏(岩波文庫版『代表的日本人』の訳者)の言葉が思い出される。

 

 内村鑑三の日蓮上人に対する評価を一部、紹介する。

「日蓮の生涯は、マホメットから多妻主義をさしひいた生涯を思わせます。同じように強靭な精神と異常なほどの熱狂性があります。しかし、あわせて、共に目的のための誠実さと、内面には深くてやさしい慈愛の心が、豊かに両者にはあります」

「日蓮ほどの独立人を考えることはできません。実に日蓮が、その創造性と独立心とによって仏教を日本の宗教にしたのであります。他の宗派が、いずれも起源をインド、中国。朝鮮の人にもつのに対して、日蓮宗のみ、純粋に日本人に有するのであります」

「受け身で受容的な日本人にあって、日蓮は例外的な存在でありました」

「法華経の伝道者たる能力において、この人物は、天地全体に匹敵するほど重要でわりました」