死後の世界は次の三つの言葉から推し量ることができると思うのです。
1、邯鄲の夢
栄華が思いのままになるという枕を呂翁という道士から借りて仮寝をした盧生という男が、栄枯盛衰の50年の人生を夢に見たが、それは粥(かゆ)がまだ炊き上がらぬ束の間の出来事であったという故事から、栄枯盛衰のはかないことをたとえたもの。
2、ランナーズハイ
脳内にはモルヒネのような麻薬作用のある物質,β-エンドルフィンがあり、激しい運動をする(苦痛を感じる)とその分泌が増加する。この作用によって、特にランニング中に恍惚感や陶酔感を経験することをランナーズハイという。
3、明晰夢
睡眠中に、これは夢だと自覚できていること。明晰夢であると気付くと、夢をみながらその内容を自分で意図的にコントロールすることができる。
邯鄲の夢は、栄枯盛衰のはかないことのたとえではあるものの、私達が経験的に知っている僅かの間に延々とした長い夢を見ることをも表しています。
ランナーズハイは有酸素運動中の酸素欠乏にともなって出現するものですから、英語圏の白人の中にはAuto Erotic Asphyxiation(死者も出ているので絶対に真似しないでください)という酸素を極端に制限して快感を得ることを試みる人もいるということを考え合わせれば、酸素の欠乏という要因が引き金となって、脳内麻薬の分泌が起こり、恍惚感や陶酔感がもたらされるものであると考えられます。
明晰夢は睡眠が浅い時に見るものであり、死の淵にある深い眠りの時に明晰夢を見ることはできません。
そうすると、死に至る仮死状態の時に見る夢は延々とした一生分にもあたる長い長いものであり、死の淵にある深い眠りでは明晰夢を見ることはできませんから、それは本人にとっては現実の世界なのであって、しかも死の直前で呼吸器や循環器も不調をきたし、酸素の供給が欠乏して脳内麻薬が多量に分泌され、これにより、恍惚、陶酔状態に陥ることは分明です。
したがって、このような状態にある時に見る夢は、ほかならぬ天国の夢であることに間違いはありません。
進化とともに不老不死を失って、死(新旧交代)が避けられないものとなって以来、死後は誰でも天国に行けるように上手くプログラミングされるようになったのです。
安心してください。