区切り付けの車遍路 讃岐路編 令和3年10月16日① | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

いつまた勤務先では県外への外出が厳しくなるか分からないので3週続けて遍路に出た。これで一区切りとなる。

この日の打ち始めは六十七番大興寺様である。7時過ぎ、駐車場に着いた。着くと1人の歩きの男性がおられた。挨拶を交わした。この時間にここと言うことは昨日のうちに六十六番雲辺寺様を超えてきたと言うことだ。お話しを伺うと、40km歩いたそうだ。伊予三島を出て六十五番三角寺様、六十六番様を打って六十七番様の手前まで歩いている。大したものだと感心しながら駐車場で思わず話し込んだ。男性は恐らく同宿者が少なく会話に飢えていたに違いない。一通り話し終えるとこれから六十七番様を参拝するとのことだ。ではご一緒にとお誘いした。

仁王門

本堂で読経を終えると、「ここまで先達さんと一緒に拝んだことがなかったので、鳥肌立ちました。」と嬉しいお言葉を頂いた。大師堂でもつい調子に乗って読経してしまった。男性は40代、会社を経営していたが黒字経営のまま一区切りつけて譲渡して、奥さんにも断りを入れ四国遍路に出たのだとか。通しである。出来れば高野山まで歩き通したいそうだ。ならばあと10日ほどですね、と告げた。また、完歩した人が頂けるバッジ、是非貰って欲しいと前山遍路センターを紹介して、無事の結願を祈って別れた。先達として少しはお役に立てたのなら有り難い。

次に向かったのは七十一番弥谷寺様である。途中、Hさんから次のお寺で待っているとのご連絡を頂いた。本当に久しぶりにご一緒出来るので非常に楽しみにしながら、七十一番様にお参りした。山門前にあった俳句茶屋は更地になっている。遍路記念館のようなものが建つらしい。時代の流れとは言えちょっと寂しい。


俳句茶屋跡

本堂で先達さんらしきご一行が来られた。先にお参りを終え、大師堂をお参りした。

仁王門

参拝後、納経所に向かう途中、先ほどの先達さんから声を掛けられ、そのご夫婦から錦のお札を頂いた。ご夫婦揃って100回巡拝した記念に御礼巡拝しておられるそうだ。素晴らしい事だ。奥様が「井戸寺の本堂に居ります。」と言われて、あっ、と思った。「先週、蝋燭を買いました。その時、先達大会が今年も無くて残念と言われた方ですね!」と言うと、そうだとのこと。こうして大師堂内で再会出来るとは、お大師様も粋なことをなさる。
これは車遍路はこれからも続けよとのお大師様の思し召しか?

さて、いよいよ七十二番曼荼羅寺様である。先ほどの再会とこれからご一緒するHさんご夫妻、やや上気しながら車を走らせた。
山門を抜け、待ち合わせの休憩所前でHさんご夫妻と落ち合った。

仁王門と門前の風景

香川を巡拝すると連絡を付けていたのでご一緒頂けることとなっていた。
本堂ではHさんのご主人が、大師堂では自分が経頭を務めた。

続いて七十三番出釈迦寺様。Hさんに続いて本堂裏の駐車場に車を駐めた。この駐車場は初めてだ。

境内

折角なので法螺を持ち出し、大師堂前で下手な法螺を立てた。一向に上達しない。情けない限りだ。Hさんに先ほどの錦札の先達さんご夫妻の話をしていたので、このお寺で再び一緒になり、Hさんご夫妻も錦札のご夫妻にご挨拶された。

七十一番様から暫くは順打ちである。次は七十四番甲山寺様だ。

山門

少し雲が出てきた。

本堂

本堂、大師堂、毘沙門堂を参拝した。


次は七十五番善通寺様なのだがその前に、新しくなった仙遊寺様に立ち寄った。番外札所で七十五番様が管理している。

仏堂

堂内に自由に入ることが出来る。Hさんご主人からこのお堂の説明をして頂けた。このお堂には幼き日の佐伯真魚(さえき の まお、弘法大師の幼名)少年が泥仏を作って遊んだ伝説がある。
(つづく)