区切り付けの車遍路 土佐路編 令和3年10月2日② | しこくあるく

しこくあるく

四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

(つづき)
次いで二十六番西寺(にしでら/金剛頂寺)様。相変わらず駐車場までの道は狭い。でも、その上にある青少年研修センターは恐らく新型コロナで休業中だろうから大型観光バスとすれ違う心配は無い。境内には参拝者がそこそこおられた。少しは戻りつつあるのだろう。


参道の石段と仁王門

そう言えば、驚いたことに室戸への道を走っていると歩きの方を多く見かけた。初老の男性ばかりではない。妙齢の女性も歩いている。ここまで歩くと言うことは一番様を経って10日ばかり経過していると言うことだ。9月下旬には発心していることになる。コロナ禍の第5波が収まりつつあることを見計らっての出発だろう。宿も感染への注意を払わねばならずご苦労だろうな。

再び気持ちよい海沿いを走り、高知県を代表する銘酒土佐鶴の蔵を過ぎると国道55号を右へ折れる。”真っ縦(まったて)”と呼ばれる勾配のある狭い坂を上る。離合の場所を間違えると苦労するのだが、前を走る車が何度かその憂き目に遭っていた。カーブミラーを注意深く見ながら運転したらどうか、と思うのだが余裕がないのだろうな。
狭くカーブが多い道で抜き去るわけにも行かず後を着いてようやく二十七番神峯寺様の駐車場に辿り着いた。

仁王門と神峯神社様の鳥居

何はともあれ、天候に恵まれるのは嬉しい。ここの境内からの眺めはいつもながら素晴らしい。

境内から望む土佐湾

駐車場までの帰り道、何度か前の札所で一緒になった男性とすれ違う際に会話した。弘法大師の話に及んだ。学術的見地から空海研究が進んでいるようで、三教指帰に書かれている太龍嶽や室戸、石鎚での修行と言った内容はフィクションなのだとか。入唐までの謎の期間が少しずつ明るみに出ているようだ。しかし、それがなんであれそれ以後の弘法大師の事蹟には変わりなく、我が国に密教を弘めた事は曲げようのない偉大な功績だ。

さて、時間が迫りつつある。あと二ヶ寺。ヒヤヒヤしながらも二十八番土佐大日寺様に着いたのは、なんとか余裕のある時間だった。本堂内に入らせて頂きご本尊の大日如来様を拝しつつお勤めした。


石段と山門

納経所の奥で読経が聞こえた。ご住職か訊ねると、川崎住職は所用の為、応援で来られたお坊様だとか。このお寺は真言宗智山派、いわば新義真言宗である。「唱える理趣経も高野山真言宗とはリズムが違いますね」と納経所の方に告げると「お勤めされているのは高野山真言宗のお坊さんですよ」とのことだ。いやはや知ったかぶりは怪我の元だ。恥ずかしい限りである。

二十八番様を終え、後免の市街地を抜けてこの日の打ち止め、二十九番土佐国分寺様に4時過ぎに着いた。

仁王門

門前の扇屋さんは閉まっている。ように見えたが店舗の向こうにある家に看板が掛かっており、声を掛けると応対して頂けるようだ。でも以前ほどの規模では営業されていないのは寂しい。


扇屋さん

境内に入ると白い萩の花が盛りだった。本堂、大師堂と参拝し、納経印を頂く前に薬師堂に上がらせて頂き新型コロナ早期退散を祈った。

本堂(国の重要文化財)

納経印を頂いて本日の打ち止めである。

坂出ICまで一般道を通り家路についた。久しぶりの遍路、やはり楽しい。果たしてきっぱりと止められるのか?

出会いに感謝。無事の参拝に感謝。
南無大師遍照金剛