神島八十八カ所徒歩巡拝 初日④ 令和3年5月3日(月) 三十番~四十三番 | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

(つづき)

三十番の次は三十三番である。

三十三番・雪蹊寺

三十三番からの眺め

三十三番から次の二十九番に向かう際に道を間違えてしまった。どうも違うと思いつつ、この方向であろうと道を辿っていると墓掃除をされている男性が居られたので道を尋ねた。すると、一緒に行きましょうと道案内して下さった。出身はこの地だが今は笠岡市内に家を建てて出ておられるそうだ。子供の頃は神島遍路は盛んで、お遍路さんから子供達に逆にお接待のお菓子が貰えていたのだとか。そうした話を聞きながら二十九番に着いた。

二十九番・土佐国分寺

この霊場にもお大師様はいらっしゃった。掃除の手を止めてご案内下さったお接待に感謝を述べた。


次の三十一番までは墓地の中を通る。陽気のせいか道端にアオダイショウが出ていたので驚いた。マムシではないだけ良い。三十一番は日光寺様の本堂である。

三十一番・竹林寺(日光寺)

札所本尊は文殊菩薩様になるが、お寺の御本尊は薬師如来様である。このお寺では納経所の前にスタンプが置いてある。ここから次へはどう行けば良いのか迷った。入ってきた道へ戻り県道方向へと向かうと二十六番に出た。やはり道を間違えた。県道に出て西に向かうと何とか無事に三十二番に着いた。


三十二番・禅師峰寺

県道を更に西に進むと県道から少し入った場所に三十四番がある。

三十四番・種間寺

打ち終えると強い腹痛となった。この周囲にトイレは無い。外浦港まで引き返しトイレに駆け込んだ。これでおよそ30分のタイムロスである。既に3時近い。このまま半周すべきか、一周の途中まで打って帰るか悩んだ。

再び県道を西へと向かい途中、出来大師・十夜ヶ橋に立ち寄った。

十夜ヶ橋(手前)と出来大師(奥)

十夜ヶ橋にある最近出来た顔出しパネル

何と十夜ヶ橋まである。因みに発心の懺悔庵の向こうには鯖大師もあるようだ。

更に県道を西に向かうと県道脇に三十五番がある。

三十五番・清瀧寺と峠越えの県道

ここから県道を北へ向かい、駐車している神島公民館までは札所が17ある。今の自分のペースだとこれだけの数を打つと恐らく半日近く掛かるだろうから、そのまま順番に西へと進むことにした。


次の三十六番は小高く海に突き出た場所にあり笠岡諸島が一望出来る場所にある。

三十六番・青龍寺

お堂の脇には開祖・今田慧弦の石像が鎮座している。


今田慧弦像

本四国同様にここから次の札所の三十七番までの距離はこの霊場にしては長く約1km離れている。しかも人家が殆ど無くなるので、とても寂しい感じである。

三十七番・岩本寺

三十七番から三十八番までが本四国同様に最も距離があり約2km離れている。森の中を歩き、やがて海岸へと出る。

山林を歩く

海へ出る

途中に周兵衛庵、数珠大師があり、それを過ぎると海岸から離れ山道になる。

周兵衛庵

海岸沿いの岩場を歩く

数珠大師

この辺りから再び山中へ

一日中歩いた足にはこの登りは急坂でかなり応える。息を切らして三十八番に着いた。


三十八番・金剛福寺

ここから北へと向かう。神島なびっくLANDというレジャー施設内を通り、再び坂を登って三十九番へと至る。

神島なびっくLAND内を通る

なびっくLANDを抜け遍路道へ

竹林にある三十九番・延光寺(右)と井戸

四十番へ

次の四十番までの途中に祠があり、ここが四十番と間違えてお勤めした。

四十番と間違えた御笹十一面観音堂

ここから坂を下る途中に四十番がある。

四十番・観自在寺

刈り込まれて整備された遍路道

御手洗池という小さな潟湖を右手に見ながら海辺まで下った。

御手洗池

神島北岸に出た

この池のほとりの海側にバス停があるが既に4時22分のバスは出てしまって次は約2時間先なので、駐車場まで歩くことにした。腹具合で45分程度タイムロスしたので結果的にバスを逃してしまった。バス停の横に四十一番があり、ここから東へと向かう。

四十一番・龍光寺

四十二番、四十三番と打ち、5時になった。

四十二番・仏木寺

四十三番・明石寺

次の四十四番は県道から離れるので四十三番で初日の打ち止めとした。残すは二十九カ所である。
そして、ここから車を駐めている神島公民館まで約5kmを歩き、厄除神島大師に本日の無事巡拝の御礼を述べた。

再び厄除神島大師に手を合わせた

公民館の駐車場に駐めてある車に乗り帰途についた。

無事の巡拝に感謝。
南無大師遍照金剛

歩行距離:約26km
歩数:35,455歩