後山奥の院登拝と道仙寺参拝 令和元年7月6日(土) | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

7月中旬の大峯山登拝を前に、山伏装束で岡山県内にある修験の山である後山(うしろやま)に登拝しておこうと思い立ち、天気も良くなりそうなので7月初めの土曜日に出かけた。

後山は岡山県と兵庫県の県境にある。旧東粟倉村、現在の美作市の北東端にあり、自宅からは車で約2時間半の道のりだ。衣体(えたい=山伏装束のこと)を積み込み7時に家を出た。
旧瀬戸町万富から美作岡山道に乗り終点の吉井ICまで走った。ここから国道と県道を北東方向へひた走った。宮本武蔵生誕の地とされる場所を抜け因幡街道大原宿を少し下見して旧東粟倉村へと入った。

村落の中へ入ると背面に後山がデンと構えている。

後山

集落は坂の途中にある。集落の外れに道仙寺様の護摩堂がある。女人堂とも書かれている。

護摩堂(女人堂)

これから目指す奥の院行者堂も道仙寺様の一部である。護摩堂を参拝して更に山の方へと車を進めた。途中に「愛の水」という湧水の汲み場がある。それを横目に更に進むとイノシシ避けのゲートがある。ゲートを開けて車を進め、ゲートを閉めて少しばかり進むと駐車場に着いた。駐車場は自分の車だけだ。誰も登拝していないようだ。



広い駐車場に自分の車だけ

 

衣体に着替えて10時前、奥の院へとむかった。

奥の院への登拝口

山小屋

トレイルランロードがある

大師堂

途中までは舗装の道であるが、大師堂手前から地道となり、大師堂から先は歩道のみとなった。沢沿いに進んで行くと水行場がある。小さな滝の下が広くなっておりここに浸って水行をするのだろう。


水行場

更に進むと母御堂(ははこどう)がある。神変さん(役行者)が祀ってある。ここから先は女人禁制となっている。

母御堂

現在、年間を通じて女人禁制を守っているのは、大峯山とこの後山奥の院だけである。なお、後山の山頂は女人禁制ではないので女性は別の登山道から登頂が可能だ。

母御堂で燈香読経の後、女人結界に入った。

女人結界門

小石がゴロゴロしていて道らしい道ではない。有り難いことにピンクのテープが道しるべとなっている。

登拝道

進んで行くと「お亀石」がある。どなたかのブログを拝読した際に”なかめ石”と書かれてあった。

お亀石

確かに脇の石標を見ると”な”と読めなくもないが、これは”お”である。大峯山の表行場に「お亀石」があるので、そうでないとおかしい。大峯山のお亀石の半分程度なのでさしずめ子供と言ったところか。

登山道の分岐点

その後ろには神変さんがいらっしゃる。


役行者像
 

暫く進むと沢から離れ勾配がキツくなり、上を見ると高石垣が見えた。

高石垣が見えた

奥の院に到着である。概ね40分程度である。山中によくもまあこのような高石垣を造ったものだと人間の営みには感心してしまう。

奥の院

石垣の下を右方向に進むと境内に出た。参籠所があり奥に進むと奥の院行者堂がある。

参籠所

この山は役行者が開いたとされ、行者堂には当然ながら神変さんが祀られている。

迫り出した岩の下にある奥の院行者堂

行者堂の奥には護摩壇がある。

護摩壇

やはり修験の聖地である。
行者堂から山頂が見える。

行者堂と後山山頂

後山山頂

ここから山頂までは藪漕ぎで約1時間の道のりだそうだが、今回は帰宅時間が決まっているため山頂は目指さない。


行者堂背後の岩

行者堂でお勤めを行い下山した。7月20日には大峯山、8月初旬には奥駈が控えているので、その前に地元の修験の聖地を登拝しておきたかったので願いが叶った。

駐車場で衣体を脱ぎ麓へと下りた。

愛の水(有料の水汲み場)

麓の「こぶし庵」で昼食を摂り、土産にその名も行者まんじゅうを買った。生地にはったい粉が混ざった素朴なまんじゅうだ。

食べたうどんは地元、東粟倉産の手延べうどんだそうだ。地場産業として手延べそうめんがあり、他に手延べラーメンなども作っているのだとか。

食事の後は道仙寺様を参拝した。真言宗醍醐派の準別格本山である。後山修験の本坊となっている。

道仙寺本堂

寺標

御本尊は地蔵菩薩様である。

本坊

納経印を頂きたかったが生憎、ご住職はご不在だった。

寺院紹介
寺院名  延命山 地蔵院 道仙寺(えんめいざん じぞういん どうせんじ)
所在地  岡山県美作市後山59
開創年  建長年間(1249 - 1255年)
開基    徹雲
宗派    真言宗醍醐派 準別格本山
御本尊  地蔵菩薩


無事の登拝に感謝。
南無地蔵大士
南無蔵王大権現
南無神変大菩薩
南無聖寶尊師
南無遍照金剛