伊予国巡拝12月28日 44番~51番、別格8番・9番 | しこくあるく

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四国霊場歩き遍路の記録を中心に、寺社巡りや城郭探訪など旅の日記と徒然の感想を書き連ねています。

5時半起床。札所に近い宿であれば2時や3時に起きなくて済むので楽である。
出発の準備を整え、荷物を車に積み込んだ。昨日の好天とは打って変わってどんよりしている。おまけに雨がポツリポツリ。テンションが下がる。
6時半より朝食が頂けるので、準備をしていれば7時前には出発出来る。宿泊客は工事現場で働く人がちらほら。観光や遍路といった感じは自分ぐらいなものだ。定宿としている人も中には居て、昨夜作ったのだろうテーブルに並んだ3品のおかずを迷わず電子レンジに入れて温めていた。味噌汁は席に着くと出てくる。ご飯は食堂の真ん中に置いてあり、好きなだけ自身でよそう。味付け海苔、漬け物も取り放題だ。食べ終えて、すぐに出発。

別格8番十夜ヶ橋(とよがはし)へ。7時5分到着。


十夜ヶ橋本堂

寺院の名称は永徳寺で、ここは境外仏堂である。永徳寺自体はここから1kmほど南にある。同じように別格11番生木地蔵も境外仏堂で寺院名称は正善寺。正善寺は生木地蔵の北約800mほどのところにある。
本堂、橋の下の霊場を参拝。橋の下は弘法大師が野宿した伝説に因み、野宿をしても良いことになっている。本堂の西側には通夜堂も備えられている。橋の下では自転車遍路の男性がテントを張って野宿していた。


十夜ヶ橋の橋の下と野宿

自分がお詣りしていると出発の準備を始めた。「寝られた?今日は久万高原経由で松山?」と尋ねた。「まあ、何とか寝れました。出来れば今日は松山まで行きたいッスね。」彼も年末年始休暇利用で区切り打ちだそうだ。久万高原の情報は岩屋寺に電話して確認した方が良いよとアドバイス。この時点では自分は大洲ICから高速道で松山へと抜けるつもりでいた。大師堂へお詣りし、納経所へ。お坊さんが「寒いね。」と声を掛けられた。「寒いですね。これじゃあ久万高原も雪でしょうね。」「う~ん、でもここ2~3日ぬくかったから、大丈夫だと思うよ。」この一言で気が変わった。久万高原の2ヶ寺を打ち残したくはないので、久万高原へ行こう!
早速、岩屋寺に電話して確認するとノーマルタイヤでも大丈夫とのこと。久万高原へと車を向けた。

44番大寶寺へ。ここで丁度札所は半分である。国道379号、380号を走る。途中、歩きの際に詣り損ねた、千人宿記念大師堂と楽水大師を参拝。


千人宿記念大師堂

記念大師堂は通夜堂ともなっており宿泊が可能である。


楽水大師



久万高原へと入った。久万高原へと辿り着いた記念に道の駅で正月に自宅の神棚にお供えする御神酒として久万高原の地酒・雪娘を購入した。

9時20分、大寶寺へ到着。雪は全くと言うほどに残っておらず、境内の駐車場まで上ることが出来た。ご夫婦だろうか参詣者が納札に日付を書くため今日は何日かなと話している。月まで書いて日付は吉日でよいと伝えた。


大寶寺 本堂


本堂、大師堂と興教大師堂を参拝。納経所で納経印を頂いてふと横を見ると納経帳が。どうやら忘れ物のようだ。納経所の女性にお渡しした。「あら~。」と女性。大寶寺までの納経印があるそうだ。納経帳の最後には名前もあるようだ。次の45番岩屋寺に連絡することにして大寶寺を後にした。7度目のお詣りにして初めてここの女性と少しお話し出来た。下の駐車場まで下りて、念のために岩屋寺に電話してみた。まだその様な方は来られていないとのこと。

峠御堂の坂を上っても雪はなく凍結も無し。10時、無事に岩屋寺下の駐車場へと着いた。参道にも雪はない。


岩屋寺 山門

一週間前のぼちぼちさんのブログでは凍結して気を付けて歩かねばならない様子だったというのに、この日は十夜ヶ橋でお聞きした通りだった。弱い雨が降っている。久万高原で降る雨はとても冷たい。これが氷雨というものだろう。それでも参拝者は十数人。参拝の後、納経所で尋ねたが納経帳を忘れた方は現れていないそうだ。ひょっとすると歩きの方か?忘れるのは自己責任だ。が、もし歩きの方で岩屋寺に辿り着き、ここで気が付いたならば少々酷な話である。タクシーで往復とでもなれば痛い出費だ。岩屋寺に届けておこうと思ったが、無用な混乱を招くより忘れた場所に預けるのが最善と思った。

11時過ぎ、岩屋寺を後にする。再び道の駅に車を駐め岩屋寺の状況をブログアップした。
松山へは立派な三坂道路が出来ている。ほぼトンネルである。忙しくハンドルを切りブレーキを頻繁に踏む必要がない。ループの途中から左折し浄瑠璃町へと細い山道を下る。46番浄瑠璃寺への近道である。

11時50分、浄瑠璃寺へ到着。雨は止むことなく降っている。


浄瑠璃寺


12時10分、47番八坂寺へ。この札所間はとても近い。


八坂寺山門の天井絵

八坂寺駐車場からは境内裏手を抜けるよう指示が出ている。確かに門前の道は狭く、通行量多くすれ違うと沿線住民の迷惑となるだろう。

八坂寺から北へ少し進むと別格9番徳盛寺(とくじょうじ)に着く。ここで12時40分。そろそろ昼にしたいが店もなく、先に徳盛寺を打って市街地に近づいてから昼食としよう。


徳盛寺 本堂


ここは四国遍路開祖と言われる鉢塚衛門三郎の屋敷跡と伝えられている。雨は小降りになった。

48番西林寺へと向かう途中のコンビニで弁当を買いやっと昼食。アップしたブログのコメントを見ると、ぼちぼちさんから西瀬戸自動車道通行止めの情報を頂いた。有り難いことである。尾道市向島で携帯電話操作中に反対車線に飛び出した乗用車と軽自動車が正面衝突し軽自動車の高齢者2人が死亡するという痛ましい事故であった。西瀬戸道を通って帰るつもりにしていたので、帰る時刻にはどうなっているか確認する必要がある。

1時半、西林寺へ。雨は殆ど降っていない。山門には門松。迎春の準備が整っている。


山門と門松

笈摺を着た子供連れのご家族がやって来た。子供達は先達さんさながらに「般若心経には~」と唱えながら読経している。微笑ましい。未来の大先達さんかな?
本堂、大師堂の後、土参り大師を詣でた。

2時、49番浄土寺到着。


浄土寺 山門

隣で参拝中のご夫婦連れの男性が数珠をジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラと何度も摺るのが気になる。真言宗の場合は3度摺ればよい。
ここのお堂には木札が打ち付けてある。寺を”打つ”の名残である。


大師堂に打ち付けられた木札

新しいものでは昭和40年代のものがある。40年ほど前まではこのように本当に打っていたのだ。また、紙札も貼られてある。無論、今はこのようなことをやってはいけない。
参拝の後、御影と押印を頂いた。これで開創1200年記念御影と記念押印が全て揃った。平成25年12月の歩き遍路の際には50番繁多寺より打ち始めたのでここで初めて開創1200年記念御影と押印を頂いた。あとは別格の残り7ヶ寺を平成27年中に打ち終えればよい。

浄土寺を打ち終えてまだ2時半前と時間があるので7巡目の車遍路を続行した。向かうは繁多寺である。2時35分到着。


繁多寺 山門

ここには歓喜天様をお祀りしてある。ご縁を結んでいるので、無論、参拝。ここからは御影は通常のもののみ頂き、記念押印は頂いた。

3時15分、51番石手寺着。このお寺は街中にあるため専用駐車場がない。近くの有料駐車場に駐めなければならない。


石手寺門前の衛門三郎


石手寺 国宝の山門

国宝の山門を抜け境内へと進むと歩きの方が数名。この時間だと道後温泉辺りで宿泊だろう。石手寺を打ち終えて急げば次の52番太山寺には行けるかもしれないが、もうここで打ち止めることにした。打ち終えて御朱印と記念押印を頂いた。これで平成26年の遍路は全て終了である。この年の前半は歩き遍路にも行ってたんだなぁ。つくづく、自分は頭の先からつま先までお四国病に罹患していると思う。
境内のベンチでコメントを頂いた373773さんにコメントをお返しした。
山門を抜け左手にある地蔵院を初めて参拝した。


地蔵院

小さいが落ち着いた佇まいの寺院である。
門前の店舗は4時というのにもうシャッターが閉まっている。商売っ気が無いな。

西瀬戸自動車道の状況が気になったのでスマホで情報を調べると、通行止めはとうに解除されていた。一路、今治へ向かおうと石手寺横の駐車場を道後温泉方面へと右折した。コンビニに車を駐め念のためカーナビでコース確認すると逆方向だった。年末の夕方近く混雑する道後温泉に突っ込んでしまい、渋滞で身動きが取れなくなった。時間のロスである。何とか来た道を戻り石手寺門前を通過。国道317号の山道を一路、今治へ。

秋の夕暮れならば紅葉を眺めながらのワインディングロードであろうが、歳末の雨の夕暮れである。この道は山道なのに今治とを結ぶ幹線道路なのだろう通行量が多い。
今治に入る頃には雨脚が強くなってきた。この道は栄福寺の近くを通る。途中、コンビニに立ち寄りドリップコーヒーを買い一息ついた。ももさんからもコメントを頂いていたのでコメントをお返しした。

今治ICより高速に乗り、夕闇と年の暮れの迫る四国を後にした。
7時半、帰宅。どんぐりさんからもコメントを頂いており無事の帰宅を返信した。

無事に順打ち出来たことに感謝。情報を頂けた、ぼちぼちさんはじめコメントを頂いた皆さんに感謝。出会いに感謝。
平成26年、歩き遍路を無事に願行成圓させて頂いたことに感謝。開創1200年のお姿を全て揃えることが出来たことに感謝。
南無大師遍照金剛