少し前に

 

amazarashiの『僕が死のうと思ったのは』を聴いてて

 

ふと自殺した父方の祖父のことを想い出した

 

 

「死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから」

 

この歌詞が妙に響いたんだ

 

 

 

祖父は肺がんになって

 

わたしがお見舞いに行った日の夜に病院の窓から飛び降りた

 

 

お葬式の際には死因を「肺がん」として

 

真実はごく近くの人にしか伝えられなかった

 

 

わたしはなぜかそのことが

 

モヤモヤとしてとても悔しかったのを憶えてる

 

 

なぜならどんな死のかたちをとったとしても

 

それは祖父が自ら選択したことであり

 

その選択を周りが否定しているように感じたから

 

 

 

自殺を肯定するつもりはないけれど

 

早くに父を亡くしたわたしは

 

『人の死からなにを学ぶか』ということを

 

無意識に常に考えてきていたように想う

 

 

そして

 

死にたくても死ねなかった人たちの話しを

 

繰り返し見聞きするうちに

 

死のタイミングすら

 

魂の選択なのだと感じるようになってきた

 

 

 

でも実際に自分の身内に起きたことは

 

客観視するのにとても時間が掛かってしまう

 

 

ただこの間

 

「死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから」

 

この歌詞を聴くうちに

 

祖父はとても頑張りすぎた人だったのだな・・・と

 

不思議と慈愛のような氣持ちが湧いてきた

 

 

 

ずっと厳しい表情しか見せなかった祖父のことが嫌いだった

 

話していた内容なんてほとんど憶えていない

 

 

けれど祖父の世代の人たちにとっては

 

自分に厳しくあることでしか大切な人を護れない

 

そんな想いがあったのかもしれないと想うと

 

祖父の愛を感じて涙が止まらなくなった

 

 

 

「死」という文字自体が

 

伏せられることの多い世の中ではあるけれど

 

死を読み解くことで

 

感じられる愛もあるということが伝わりますように

 

 

 

龍

 

2020年にした子宮体がん手術前に

「わたしたちの命は、この地球に生まれてくるとき、龍に大切に命を抱きしめられて降りてきた」と

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