池波正太郎の「剣客商売」をたしなむ
~悪い虫の巻~
皆さん、こんにちは。管理人の佐藤有です。
さて、今回紹介する「剣客商売・悪い虫」は、ある人物から馬鹿にされたくないとの思いから、大治郎の元へ10日間の修行に励む辻売りの鰻屋の成長と、修行の成果を描いた1編です。
剣客商売・悪い虫のあらすじネタバレ
あらすじ1)
その日の江戸は、朝から冷え切っており、今にも雪が降りそうな空模様で、夕闇が迫り、人々の往来が少なくなる中、深川の富岡八幡宮門前の広場の南端の広場にて、無頼浪人たちが騒ぎを起こしていました。天下泰平の世といえど、江戸市中では刀にものを言わせて乱暴を働く浪人が増える一方で、庶民の悩みの種でした。
その日も、酒に酔った浪人3人が商家の手代と見られる男に乱暴を働き、難癖をつけて金を巻き上げようとしていました。その時、よしず張りの茶店から人影が現れ、浪人たちの中へ飛び込むと同時に、浪人の1人が堀川に落とされました。手代の男を庇う若い侍の正体は秋山大治郎であり、凄まじい剣さばきで残り2人を撃退します。
父・小兵衛の使いで、深川・黒江町の足袋問屋「丸屋忠右衛門」方に向かっていた大治郎は、帰りに富岡八幡宮を参詣し、茶店でうどんを食べていたところ、例の騒ぎを聞きつけました。
永代橋を渡り、西詰の番小屋で提灯の火をもらった大治郎は、ふと何者かに尾行されていることに気が付きます。闇夜の中、通常の人間であれば灯りなしでは夜道を歩くことは難しく、また、尾行してきた者からは殺気は感じられず、大治郎は不思議に思います。
翌朝、鐘ヶ淵へ丸屋へ手紙を届けたことを報告し、橋場の道場へ戻ると、町人風の若い男が待っていました。
あらすじ2)
大治郎道場へ入門を申込む男は又六と名乗り、悪い奴にばかにされたくないとの理由から、剣術を教えてほしいと頼み込みます。又六は、昨日の八幡宮門前で浪人たちを撃退した大治郎を目撃しており、大治郎の道場を確かめるべく、夜道を尾行していました。
そして、鰻の辻売りで生計を立てながら、酒もたばこも一切やらないで貯めた五両分の銭を礼金として差し出し、10日間で剣術を学びたいという本気を見せつけます。
しかし、剣術を極めるには、最低でも10年はかかるもので、わずか10日間で悪い奴を倒せるほどの腕前を身に付けられるような、そんな都合の良い剣術などありません。さすがの大治郎も困り果て、その日は入門を断わることにしましたが、又六は諦めきれず、また明日もお願いに来ると言い、礼金を置いて道場を去っていきました。
又六の滅茶苦茶な依頼に最初はばかばかしいと思ったものの、又六が強くなりたいとう想いは決して口先ではないと見て、その日の夜、鐘ヶ淵へ赴いて小兵衛に相談を持ちかけます。
話を聞いた小兵衛は、又六が強くなれるようにある秘策を思いつき、大治郎と共に又六の修行に付き合うことを決めます。
翌朝、まだ朝日が昇り切らない頃、大治郎道場の門を叩く声が響き渡ります。声の主は又六で、まだ朝餉を食べていなかったため、一緒にとることにしました。緊張のあまり食べ物が喉を通らない又六に対し、無理に食べることも修行だと言い聞かせ、味噌汁を食べさせます。
五ツ(午前8時)に小兵衛が現れ、又六と挨拶を交わすとさっそく修行を開始します。
まずは、又六の度胸を測るべく、四つ折りにした壇紙を水で濡らし、それらを又六の額に貼り手で押さえるように指示します。
大治郎が見守る中、何をされるか検討もつかない又六は金縛りにでもあったように身体を硬直させ、小兵衛は堀川国広の脇差を一瞬光らせます。そして、小兵衛に言われるまま、壇紙を左右にずらすと紙は見事に2つに裂け、又六の額にはかすり傷1つも付けませんでした。
小兵衛の離れ業に驚きながらも、斬られることのない安心感を覚えた又六の修行は、次の段階に進み、まず、上半身を脱いでもらい、道場の柱に背を合わせてもらいます。あくまで穏やかな口調の小兵衛は、目にとまらぬ早さで又六を柱に縛り付けてしまいます。
大治郎はこの意味が分かっていたものの、何も聞かされていない又六は、突然の出来事に思わず叫び声をあげてしまい、小兵衛に一喝されます。これも強くなるための修行と言い聞かされ、脇差で胸板の皮一枚を切り裂き裂かれます。
胸からは血がうっすらと流れるも、又六は必死の形相で耐え抜き、大治郎の手当てを受けます。
実は、この修行は大治郎も15歳の時に経験し、父・小兵衛や、恩師・辻平右衛門に斬られた刀痕を又六に見せます。
剣術を覚えるには様々な方法があるけれど、大治郎の場合は、手はじめに斬られることから始めたそうな。大治郎から話を聞いた又六は、すっかり元気を取り戻し、次は大治郎に斬られる修行に挑みます。
あらすじ3)
又六の修行開始から13日後の午後。
深川・洲崎弁天社の鳥居から北門へ出てきた秋山父子は、近くの茶店「槌屋」に入ります。堀川の上にかかる江島橋を渡った先は木場で、材木問屋や材木置場がつらなる中、江島橋の向うの袂で鰻を売る又六の姿が見えます。
3年前からこの場所で鰻売りを始めた又六は、屋根のない辻売りで一生懸命に鰻を焼き、木場で働く人足や近くに住む日雇い労働者たちが鰻や冷や酒を買い求めていました。
又六の働きぶりは、橋の向かいで槌屋を営むおばあさんも見守っており、病気の母親のために一生懸命に働く又六の親孝行ぶりに感心する一方で、彼についた悪い虫について腹立しさを覚えていました。
悪い虫とは、又六の母親違いの兄・仁助であり、又六の母親は後妻でした。又六の父親は、今は故人であるが、深川・木場の下働きの人足であり、最初に迎えた女房との間に生まれたのが仁助でした。その後、仁助の母親が亡くなり、又六の母親が後妻に入り、現在に至ります。
異母兄・仁助は、本所深川一帯を縄張りとするごろつきで、大首の仁助としてその世界では有名でした。当時の深川は、江戸の郊外のためお上の目が届きにくく、仁助一派は暴力を持って悪事を働き、金を巻き上げるなど好き放題でした。
大首の仁助の脅威は又六も例外ではなく、小遣いがなくなり、悪事にも手が詰まると又六の鰻売り屋に行き、又六に暴行を加えた挙句、その日の売り上げや鰻をすべて掻っ攫っていくそうな。
槌屋のおばあさんから又六の知られざる苦労を聞き終えた頃、ちょうど、又六のうなぎ屋に例の悪い虫・大首の仁助がやってきます。
あらすじ4)
又六が大治郎道場で修行中、仁助は何度かここにやってきており、店を閉めていた10日間、彼がどこで何をしていたは気にも留めず、いつものように小銭を掻っ攫っていこうとします。
いつもならば、一方的に殴られ、悔し顔を浮かべる又六でしたが、その日は、何をおもったのか売上げの小銭を胴巻へ隠します。
仁助を恐れ、鰻が焼き上がるのをまたずに客2人が去っていく中、又六はもろ肌を脱ぎ、刀痕を見せつけると、棍棒を構えてじっと睨みつけます。
刀痕は皮一枚の浅さでしたが、受けたばかりの傷がいっそう生々しくみえ、それが十数か所もあれば、仁助たちも恐怖を覚えざるを得ませんでした。
又六の10日間に及ぶ修行は、剣術そのものを覚えるものではなかったものの、小兵衛・大治郎の手で斬られる修行や、2人が繰りだす無外流の型を見学したり、大治郎から剣術の話を聞く生活は、又六にとって充実したものであり、ついこの間まで恐いと思っていた仁助なんぞ、今では虫けら同然に思えてきました。
小兵衛の指示に従い、もろ肌をみせ、棍棒を構えじっと睨みつける又六の姿に恐怖を覚えた仁助は、脅しとして懐刀を引き抜こうとするも、じっと口を閉ざして静かににらみつける又六を前に、手足が出ずにいました。
やがて、又六のうなぎ屋周辺では、騒ぎを聞きつけて人だかりができてしまい、人目を恐れた手下2人が先に逃げたことを受け、仁助もその場から逃げ出します。
去り際、又六は、もうここに来ない方が良い、これからは真面目に働くように、と異父兄に優しく語りかけると、何事もなかったのように鰻を焼き始めます。
すると、ひとだかりに隠れていた秋山父子が姿をあらわし、又六の雄姿を讃えます。
江戸は夕暮れ近くとなり、雪がはらはらと落ち始め、こんな天気の日暮れには鰻がよく売れるそうな。
-悪い虫・終わり-
剣客商売・悪い虫の登場人物
又六
深川・洲崎弁天の近くで辻売りのうなぎ屋を営む。年齢は25,6歳ほどで、平井新田にて母親と2人暮らし。異母兄・仁助の悪事に対抗するべく、富岡八幡宮で偶然見かけた大治郎の後を追い、10日間の修行を付けてもらう。
外見は、腹掛けの上に盲縞の筒袖をはおり、素足にわらぞうり、髷をきれいに結いあげ、少しもあかじみていない。容姿や背格好は全体的に丸く、まじめ顔にも愛嬌がある。
大首の仁助
又六の異母兄で、本所深川一帯ではかなり知られた無頼漢。悪事を働くためなら暴力を辞さず、又六にも暴行を振るい、うなぎ屋の売上げを掻っ攫っていった。しかし、又六の修行の成果を見せられ、彼との形勢が逆転してしまい、以降、又六を恐れて近づかなくなった。
剣客商売の読みどころ
又六に課された修行とは?
又六が目指す強さとは、おそらく富岡八幡宮でみかけた大治郎のような身体的な強さと考えられますが、武芸のたしなみのない又六が、短期間で他人をあっと言わせるように成長することは、さすがの秋山父子でも無理難題でした。
そこで、小兵衛が思いついたのが、身体的な強さではなく、無頼漢を相手に果敢に立ち向かう精神力の強さを鍛えることであり、又六の胸部の刀痕は、彼の修行の成果でしょう。
又六の修行は、最初こそ訳が分からず叫び声をあげ、小兵衛に一喝された斬られる修行に加え、秋山父子による無外流の型や真剣を用いた居合、剣術の話など、いわゆる修行とは程遠い内容でしたが、又六にとっては今までに味わったことのない充実した日々となり、又六の心境に変化を与えました。
当初思い描いていた、力づくで異母兄を撃退するような派手な強さを突きつけることは出来なかったものの、秋山父子の指示に従い、もろ肌を脱いで刀痕をみせ、棍棒を構えてじっと睨みつける様は、これまでの又六からは想像がつかないような静かな脅威が漂い、また、又六自身も、強がりばかりの異母兄をいつしか恐いと感じなくなっていました。
又六の戦いは、仁助が撤退したことで終わりを告げましたが、ぶれない精神力で無頼漢を撃退した又六もまたかっこいいですね。
剣術は人生をかけて極めるべし?
又六が剣術を教えてほしいと入門した際、大治郎は剣術を極めることについて以下のように語っています。
「剣術というものは、一生懸命にやって先ず十年。それほどにやらぬと、おれは強いという自信にはなれぬ。これは昨日も、よくよく、お前に申したことだ」
「だ、だからそこを何とか、十日ぐれえで、……だからこそ、おれは、この体の汗のかたまりみてえな五両ものの大金を……」
「まあ、待て。そこでな、十年やって、さらにまた十年やると、今度は、相手の強さが分ってくる」
「へへえ……そんなら、おれ、もう、わかってる。けれど何としても、その野郎を負かしてえのです」
「それから、また十年やるとな……」
「合わせて、さ、三十年もかね……」
「そうだ」
にやりとうなずいて大治郎が、
「三十年も剣術もやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる」
「そ、それじゃあ、何にもなんねえ」
「四十年もやると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる」
「だって、お前さん……いえ、せ、先生は、まだ、おれと同じ年ごろだのに……」
大治郎は苦笑した。
いまいったことは、父・秋山小兵衛のことばの受け売りだったからである。
引用:剣客商売2巻 149~150ページより
まだ、大治郎は剣術をはじめてから10年ほどなので、自分は強いという自信が湧き出てきたところでしょうか。
ここで気になるのが又六の台詞、自分は相手の強さを分かっているという箇所。人の本当の強さとは分かっているようで意外と分からないもの。口では、相手を脅すようなきつい・怖い言葉を使う人も、本当は自分が攻撃されるのを恐れて、あえて強がりを見せていることが多く、又六が恐れていた仁助もそのパターンでしょう。
自分では、その野郎(仁助)の強さを分かっているつもりでも、秋山父子との修行がなければ、又六は、仁助の強さを見誤り続けていた、言い方を変えれば、小兵衛が考案した修行の成果で、相手の強さを見極めることができ、仁助に対する恐怖が消えたでしょう。
江戸時代の鰻事情
鰻と言えば土用の丑の日に食べる習慣を平賀源内に広めたという逸話が有名ですが、現代のような鰻の調理方法が確立したのは江戸後期からで、小兵衛たちの時代の鰻は、丸焼きにしたものへ醬油や山椒味噌などで味付けしたものでした。
当時の鰻は、又六のように道端に露店を構え、鰻を焼いたり、筒切りに焼いたうなぎをねぎと一緒に味噌汁に入れる、汁物のような食べ方が主流であり、油抜きしていないため、非常にあぶらっこく、肉体労働者には好まれた一方で、中・上流階級からは敬遠されており、食通の小兵衛も鰻だけは苦手な模様です。
夏に鰻を食べる習慣は、夏バテ防止と謳いつつも、実は、夏になると鰻の売り上げが落ちてしまい、売上げを上げるためのキャンペーンを繰り出したことが始まりとも言われています。ちなみに、鰻は脂が乗り切った冬が一番美味しいとの話も聞いたことがあり、機会があれば、冬の時期に鰻を食べてみたいですね。
「悪い虫」の季節は、ちょうど冬なので、又六の鰻焼きも美味しいでしょう。
剣客商売~悪い虫~まとめ
悪い奴になめられなくない一心で大治郎に10日間の修行を付けてもらった又六の成長ぶりは、時には読者をハラハラさせながらも、読み終えた後には爽快な気持ちにさせてくれる、痛快ストーリーです。
今回紹介した「悪い虫」は、池波正太郎の「剣客商売・第2巻 辻斬り」(新潮文庫)に収録されています。機会があれば、一読してみませんか。
さて、次回の剣客商売をたしなむは、誘拐犯にさらわれた娘を救出したことを皮切りに、ある商家の先代と婿養子の当代による争いが浮き彫りとなった「三冬の乳房」を紹介します。
本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました