私の生い立ち…つづき

保健師さんが病院を調べてくださった結果、東京に大人の発達障害を主に扱い、通いやすい場所にある病院がわかりました。
ただし、初診予約受付は、月に1日のみで約1時間で予約は埋まってしまうらしい事、すぐに通えられないことを念押しされました。

初診予約受付日、母親と必死に電話して奇跡的に予約を入れられました。
初診は約1ヶ月後、それまでは保健センターで話しを聞いてもらう事になりました。話しを聞いてもらうだけでも私は落ち着きを取り戻していきました。(このことからずっと今でも保健センターへの相談は月一で続いています)

病院初日、簡単な心理テストを受け、その結果ほかの検査項目も受けるようにと、脳波検査・家族歴・成育歴・知能検査・脳のMRI・SPECT(脳血流量検査)をそれぞれに時間を割いて受診し結果を総合的に診断。
「特定不能の広汎性発達障害(今現在:自閉症スペクトラム:ASD)」
やはり疑いではなく、発達障害だったのだと自分の中ではホッとして、何者かがわかり嬉しくなった2013年1月私36歳。
もう周りについていかなくてよい、頑張りすぎなくてよい、説明がつく…。

いろいろホッとしたのは束の間で、世間では発達障害者はわがままのように見えるらしくメディアでの特集を見ると批判も多かった。

何かあった時の経済的支援(バス代半額)や障害者枠就労など受けれた方が生きやすくなるかなと「精神福祉手帳」の申請を即座に行いました。(申請しても必ずしも手帳取得になるわけでもなく、診断されたからといって支援が必要でもなく何も支障が無ければ申請の必要はありません。私も申請した際、必ずしも取得できるとは思わないで欲しいことを念押しされました)
私は数ヶ月後、「精神福祉手帳三級」を取得できました。
そのことにより、障害者枠求人を閲覧できるなりました。

私は、どんな特性が私にはあるのか⁉︎私にはどんな支援・工夫が必要なのか⁉︎を組み立てたかったので、支援はできるだけ受ける方向にしていました。

ただ、今まで行ってきた仕事セラピスト(リラクゼーション業)の求人がでる事もなく、困り果てた頃、以前一緒に働いていたセラピスト仲間から声をかけていただき、働き始めました。

そこで一緒に働いていた心理学等を学んできた方や違う障害の方々と多く出会っているだろうハローワークの方ほど、私発達障害者への対応に苦戦している様子。
働き始めて1年半くらいが経った頃、私はどうしたら働きやすくなるのか?どんな支援が必要なのか?と考え始めてきて、障害者就労支援A型事業所を利用しました。

A型事業所を利用したことで自分以外の発達障害者と働いたり違う障害の方々と過ごせたことは有意義でありセラピストとして刺激になりました。
残念だった事は、支援員さんが障害の特性を理解しておらず、一般就労している事と何も変わらなかったこと。障害特性からのことでも必要以上に責められては困ります。
と、私は支援事業所を辞め、再びセラピストとして働き始め、発達障害への理解が進んでいないことを2017年暮れに体感・実感しました。

月数回自分でお店を行っていたので、それを拡大させることと発達障害への理解活動や気軽に当事者への相談できる場所ができたらと思い、2018年4月「シキ」をオープン。2020年「志季」…「シキ」をリラクゼーション業「ハイジ」を精神障害ピアサポーターとしました。

ピア、当事者と話しをする事が有効的なことは、主治医が大人になってからわかった発達障害当事者でもある私が体感していること。
そして、主治医の本によると「日本の医学では1995年頃まで、発達障害は子どもの病気で成人までに治るために成人には存在しないと考えられており、2008年頃にようやく精神神経学会で「大人の発達障害」が大きく取り上げられた」となっているので、私の病名障害がわかりづらかったことはうなづける。
ただ、私が生きづらさ・生きにくさを感じていた36年間には変わりはない。
今は適切な診療と支援を受けられるようになり、工夫対策がわかるようにもなりと生きにくさは軽減されている。
発達障害とわかる前と同じように動く量も増え、自分のお店以外でも働いてます。
片付けもお掃除業者と一緒に行ったりしたおかげで、やり方がわかり、私なりになりますが、片付けはできるようになりました。段取りがつけるようにもなりました。

その中で、生きづらさは、他人との認識の差やコミュニケーション不足などにより起こります。私一人だけで解決できるものではありません。

私が今回長くなりましたが、綴ってきた理由は、ミエルカイという勉強会に参加させていただいたおかげで冷静に発達障害と向き合うことができたからです。

きっかけは、今、発達障害早期診断・早期支援を受けてきた子どもたちが社会に出始めてきているからです。
環境によって特性が治ったようにみえる感じることもあり、学校生活で安心してしまう事もあります。
特性が強く出てしまっても大丈夫な社会・受け皿がある事が大切であると私は考えています。環境が変わればゼロに戻ってしまう事があるのも発達障害の特性の一つでもあるからです。

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

「共生社会」についても投稿する予定です。
よろしくお願いします。