伝える | スガ シカオという生き方 ~history of his way~

スガ シカオという生き方 ~history of his way~

1997年デビュー、2011年フリーランスとなった音楽侍スガシカオさんの記録。
本名:菅 止戈男。戈(ほこ)を止める=争いを止めることが「武」の本義であるという孔子の著から取られた名前に込められた思い、それに恥じない生き方の足跡。

Talkin Rock!2008年11月号
(トーキングロック!から休刊を挟んでTalkin Rock!に変わったことなどもあり、約5年ぶりの登場となった号)

$スガ シカオという生き方 ~history of his way~

ー03年5月のアルバム「SMILE」の時、以来ですね!

スガ「だよね。確か「4Flusher」(00年10月)の大スランプを抜け出して「Sugarless」(01年10月)を経た後のインタビューだったよね。

ースガさんが疲労困憊している中で取材した記憶がありますね。

スガ「あの時は、本当に酷かったからね、いろんな事がうまくいかなくて。ちょうどレコード会社が変わる話があったり、スタッフが総入れ替えになったりとか、環境的にも落ち着かなくて、まわりとうまくコミュニケーションがとれないままスタートして作り上げた感じだったからもの凄く大変で。結果的にセールスもあまりよくなかったからね。曲そのものに対しては自信があったんだけど。そこから徐々にスランプを脱して「「Sugarless」をつくり、さあに落ち着きを取り戻して「SMILE]を出したと言う流れですね。」

ーまずは少し振り返りますが、僕が「TIME」を聴いた時に、これはかなりカッコよくてファンク度の強いマニアックな作品だという印象があったのです。「SMILE]で取り戻した自信を手にスガさんの真ん中にあうrファンクスピリッツを惜しみなくとことん出してやろうと言う気持ちで作ったアルバムなのかなぁと思ったんです。

スガ「うん、まさにそうでしたね。実際に作り終えたときも自分の中で相当な手応えがありましたからね。でも結果的には話にならないくらい売れてないんです。
アルバムを出して何万枚か売れると売上げ貢献みたいな感じでレコード会社か記念の盾をもらうんですよ。で、毎回有難いことに毎回アルバムは皆さんが買ってくださるのでどんどん盾が増えていくんだけど、その盾がないのが「TIME」と「4Fluusher」だけで(笑)しかも「Clover」の時ももらってるから、デビューアルバムより売れないと言う(笑)」

ーでも、スガさんの中では手ごたえのあった作品だったんですよね。だけどもその芳しくない結果を当時はどう捉えていたんですか?

スガ「僕も少しはマニアックに作り過ぎたかなぁとは思ったんだよね。でもカッコいいアルバムが作れたという気持ちのほうが強かったから、これはきっとツアーに出れば手ごたえが掴めるんじゃないかなと。「4Fluusher」の時もアルバムを作る過程は全然ダメだったけど、その後のツアーが凄くよくて、それで自信を取り戻せたのもあったからね。だから「TIME]もそうなると思ってツアーに出たんだけど、その思いとは逆に混沌としてしまうステージが多くなってしまって。

なんて言うのかなぁ・・お客さんが身体でノるというよりは“耳で聞く”あるいは、体感するというより”観る”みたいな感じだったんですよ。オレはもちろんファンクが大好きだし、「TIME」はその気持ちとエネルギーをとことん注いだアルバムだったからみんなにも身体で聴いて楽しんでもらえるような感じで届けばいいなと思っていたのね。
だけど「TIME」のツアーの時はお客さんがアダルトなノリになってしまって、お客さんともの凄い距離を感じるケースが多くなってしまって。まるでリサイタルかフュージョンのライブをやっているかのような感じだった、みんな座って聴いているかんじで。別に座っているのが悪いというわけではないんだけど、ただ今までとは全然違うムードでさ、自分が望んでいるライブはこれじゃないのになぁとか思いつつ。

だから自信を取り戻すどころか「TIME」は実際に僕が思い描いていたようには届いてなかったっていうのをツアーに出てさらに思い知らされた感じで。そこで凄く危機感を感じてしまいって、もっといろんな事を変えていかなきゃいけないなぁと強く思い始めて・・・。」

ーそれは04年の終わりから05年の頃ですよね。

スガ「そうだね。で、「TIME」の後に「奇蹟」(05年8月)というシングルを出すんだけど、そこからいろんな面をシフトチェンジしていくんですよ。

ーそれは具体的に何をどう変えたの?

スガ「まずライブに関しては1人でやってみたり、あるいはステージの上で思いっきりバカをやって笑ってもらっって、和ませてから一気に盛り上げるとか。そうやってステージに対する考え方を少しづつ変えていって、バンドへの要求も含め。そこを変えていかないといつかお客さんは全員座って、まさにリサイタルみたいなライブになってしまう恐れがあると感じたし、そういうのを望んでいればいいんだけど、俺は望んでなかったからさ。

楽曲に関してはもっと開けた感じにしたいとおもってたというか。

やっぱり幾ら自分でいいもの作ったと思っても伝わらなかったら意味がないわけで。毎回毎回わかるひとだけに届けるっても言うの違うと思うし、だから曲が排他的に聞こえないようにするにはどうしたらいいのかを意識しつつ、なるべく間口を広くしてポップス的なアプローチも取り込んで作っていこうと思ったんですよ。

もうひとつはビジュアル面ですね。暗いイメージの写真は全部NGにして、夜とかお洒落とか”聴くファンク”に繋がる要素は徹底的に排除しようと・・で、アートディレクターも違う人にお願いしたんですよ。」