GB(ギターブック)2001年3月号 history of his way 1996
スガシカオの極貧時代
-95年の10月に会社辞めたんですよね。
スガ「そう。28歳になってすぐ辞めて、それから1年間はほとんどプータロー。」
-辞めようと思ったのは、いつごろ?
スガ「辞める2~3ヵ月前かな。仕事が忙しかったから、辞められるタイミングがなかなか見つからなくて。プロジェクトとプロジェクトの合間しか、辞められないからさ。で、辞めた時に、初めてプロになる事を意識したんだよね。」
-それ以前は考えた事なかった?
スガ「いや、あったよ。モデルのネーチャンはべらしてさ、ジャガーなんか乗ってさ。いーよなー、ミュージシャンはよー、なれるもんなら俺もなりてーよ、くらいは思ってたよ。サングラスとかかけちゃってさ。」
-サングラスは実現しましたね(笑)
スガ「そそそ(笑)ジャガーも無理すれば買えなくもないけど。(笑)でも、それって現実感のない話だから。宇宙飛行士になりたいって言うのと同じようなもんでしょ。」
-それが何故急に現実的な事に?
スガ「ひとつは、もうすぐ30歳だっていうのがあったんじゃないかな。あとはよくわかんない。とりあえず1年間くらいは、音楽に没頭してみたかったのかもしれない。でも、最終的に会社を辞めたのは、そういう思いのためと言うより自然に辞めた感じだったな。いつの間にか辞めたって感じ。」
-引き止められませんでしたか?
スガ「引き止められたよ。でも、嘘八百並べて辞めちゃった。オヤジの会社結構危ないんですよ、みたいな事言って。」
ーそして、退職後は音楽に没頭ですか?
スガ「ウチの先祖代々伝わる家が習志野に一軒ポチンとあって、空き家になってたの。そこに1人で移り住んで。」
-音楽に没頭しやすいから?
スガ「って言うか、実家にいるとウルサいわけ。昼間っから短パンはいてタバコ買いに行こうもんなら、近所の噂になるかし。だから避難したって言うのが正しいね。」
-で、機材一式を運び入れ?
スガ「会社辞めて1ヶ月くらい、まず機材探しをやって。デジタル・レコーダと、その周辺機器を一通り中古で揃えて。今同じものを揃えても6万円くらいで済むけど、当時は高くてね。結局、貯金の半分5~60万かけたからね。で、その機材で、デモテープ作ってあちこちにバラまいて。」
-そんなところから、デビューに漕ぎ着けたらいいなと言うつもりで?
スガ「その頃はもう、それをちゃんと狙ってましたよ。完全プロ志向で。
俺様がプロになれないはずがない、と思ってたから。当時は、訳の分からない自信があって。」
-今なら、ワケ分かります?
スガ「わかんない。(笑)とち狂ってたとしか思えないよね。その頃は、異常な自信に満ち溢れてたから。(笑)」
-デモテープ作ってあちこちに送ってもナシのつぶてって事もあったわけですよね?さすがに意気消沈しませんでしたか?
スガ「いや~、ずっとそうだったからね。だって大学を卒業した頃、《愛について》を作って、結構色んなとこに持って行ったけど、クソミソ言われたし。そんなもんですよ、アマチュアの扱いなんて。」
-そうは言っても、会社を辞めてやってるわけだから。今度は完全プロ志向だし。
スガ「別にダメならダメで、またサラリーマンに戻りゃーいいやって思ってたから。どっかの会社にもぐり込もうと思えば、もぐり込めると思ってたし。」
-そうこうするうちに、今のところ事務所の社長さんと出会うんですよね。
スガ「うん、でも当初はこれでひと安心って感じでもなかったんだよね。」
-ナシのつぶてがほとんどの中で、イイと言ってくれた人なのに?
スガ「それまでも、わかってくれる人がいるにはいたんだよ。でも若い人だったりしてさ、《上に掛け合ったんですが…力不足ですみません》ってこと結構あったから。
それに当時の事務所なんて、代官山のマンションの一室で、部屋の中は書類の山で、猫なんかがウロウロしてるし。(のちに、山崎まさよしの飼い猫となった。)
山崎まさよしはデビュー前でしょ。この事務所大丈夫かなって思ってさ(笑)」
-自分の音楽を認めてくれはしたものの?
スガ「そー、そー(笑)でも、森川社長は、《AFFAIR》を聴いて俺のこと拾ったんだよね。あの曲を聴いてビックリして、電話を掛けてきたの。だから、《AFFAIR》が、いつものシングルくらいしか売れなかったことに憤慨してる。(笑)」
-いい社長じゃないですか。
スガ「うん、契約する前に、金貸してくれたし。もうさ、10月に会社辞めてから翌年の春くらいには金がなくなってきて大変だったわけよ。いくら家賃はいらないって言っても、食事と交通費だけでもどんどん減っていくんだよ。だから毎日、ソバばっかり食ってたね。近くに安いソバ屋さんがあったから。当時、彼女がいたんだけど、彼女とご飯を食べに行く時だけ、ちゃんとしたご飯を食って。と言ってもファミレスみたいな(笑)」
-自炊はしなかったんですか?
スガ「自炊出来るようなものが何もなかったからね。調味料もないし、冷蔵庫ないし。冷蔵庫なんか買ってる場合じゃなかったもん。」
-バイトとかは一切しなかった?
スガ「わざとしなかったね。バイトとかすると新しい機材が欲しくなる。美味しいもの食べれば、もっと食べたいと思うし。そしたらもっと働こうと思うし。そしたら音楽をやんなくなっちゃうでしょ。だから、音楽に関するバイトしかやらなかったんだよね。コーラスとかVTRにBGMをつけるとか。それもほんのちょっとだけだったんだけど。
そうこうしているうちに、オヤジが倒れて。俺がオヤジの会社の立て直しに行かなきゃならなくなったわけ。スーツ着て、外回りの仕事してさぁ。毎日、オヤジが入院している病院に行って資料をチェックしてもらって、お得意先に行って。それを昼間やって、習志野に帰ってから、作業をするっていう。」
-ハードですね。その生活は。
スガ「ハードもハードだけど、作業が中断する事に、凄くイラだちを覚えて。なんのために会社辞めたんだって話になっちゃうわけよ。昼間にスーツ着てるなら、会社に行ってたのと同じじゃない。
でも、オヤジが入院してんのに、ボクチン、音楽をやるために会社辞めたんで手伝えませんとは言えないからさ。」
― そのハードな生活はどのくらい続くんですか?
スガ「どれくらいだろう・・。デビューが決まるまで、ずっとやってたよ。もうちょっと落ち着くまで様子をみようか、デビューを遅らせようかって話も出ていたらいしいもん。その間もどんどん金はなくなってくし。一応会社から交通費だけ支給はされるんだけど、それはご飯代で消えちゃうわけよ。だからとにかくよく歩いたね。交通費なくなっちゃうから、四ツ谷~新宿間とか普通に歩いてた。(笑)それなのにどんどん貯金は減るいっぽうでさ。借金もどんどん増えていくという。ソートーやばかったね。」
― 大貧乏時代ですね。
スガ「いや、激貧!すっごい激貧。もう最後のほうなんて、ご飯も食べられなかったもん。その一歩手前は、ご飯だけ。ご飯だけコンビニで買ってきて、それだけで食べるわけよ。」
― 塩くらい掛けないんですか?
スガ「だから調味料もないんだって!でも、ご飯だけってそんなにいっぱい食えないのよ。で、何か味のあるものを食べたいなと思って、胃薬をかけて食ったんだよ。すっげーマズかった。胃薬を振り掛けたらシュワシュワ~ってなってさ(笑)。ちょっと吐きそうになってる自分を見て悲しくなりましたね。で、ホントにもうダメだって時に、事務所から月給制で契約金をもらって。まぁ、その前から事務所には借金してたんだけど。すいません、あの生きていけませんって(笑)。」
― やっと人並みの生活が?
スガ「はい。それにスタジオに入りはじめると、お金がかからなくなるから。後レコード会社が決まると、最初の頃は「食事でも」って事がよくあってさ。ラッキーみたいな(笑)」
― よく身体壊しませんでしたね。
スガ「気力があったからね。でも逆に、深酒とか身体に悪い事もしてないし。音楽だけしか作れない環境だったから
。でも、真夏とか前のアパートの学生が、窓を開けて毎晩毎晩ヤッてる訳よ。その声がレコーディングしてると一緒に入っちゃうの。だから最初のうちは終わるの待ってたんだけど、だんだん具体的に声が聞こえてきてさ。え~、いったいどういう格好してるの、キミたち。みたいな(笑)」
― 初期の曲は、この頃作ったものが大半ですよね。
スガ「そう、デジタルレコーダの8トラックがあれば、たいがいのものは作れるんで。
そこで作ったアレンジがそのままCDになってる。『clover』までの曲はその頃一人で打ち込んだデータを使ってる。」
― その頃の曲って、“一人”という感じの曲が多いような。
スガ「そうだね。『clover』って、もの凄く個人の匂いが強いよね。っていうか、俺の匂いしか入ってないからね。『FAMILY』以降は色んな人の手がいっぱい入ってくるけど。プレイヤーもそうだし、アレンジもそうだし。そういうとこでどんどん変化してるって感じがするよね。」
― それにしても、激貧生活をしていたわりに淡々と暮らしていたような気が。
スガ「そーね。ダメもとと思ってたから。普段から、あんまり深刻に考えないとこがあるから、自分のことに関しては。すげー、いきあたりばったり。なるようにしかなんないよ、みたいな(笑)」
― でも冷めてるわけでもないんですよね。
スガ「それはないね。でもがんばっても報われないことってあるから。努力賞なんていうのは中学生まで。努力はさておき、結果出して来い、でしょ、それ以降は。」