問題解決するの。
答え出ないから困ってるんだし
誰かに頼って何が悪いの?
『だれかに、話を聞いてもらったほうがいいんじゃない? セラピーに通うセラピストと、彼女の4人の患者に起きたこと』
著:ロリ・ゴットリーブ
軽い気持ちで選んだこの本。
久々のボリューム感で読めるか心配になりましたが、どうにか読了。最後は面白い本お決まりの「あぁ、終わってしまう。本が終わってしまう。」感も味わえて満足。
セラピストの主人公もセラピーに通い。
その主人公の元にもセラピーに通う人々がいて。
交差する日常の本。
登場人物全員、軽そうに見えて重い。
すんごい重い。
それぞれの浅はかな行動の原因が紐解かれていく様はゾッとしてしまうし、人間本来の曖昧さもあり、共感というより傍観しかできない自分が恥ずかしくなった。単純に物事を見過ぎだなと反省。
本の中にカウンセリングとセラピーについての記述がある。
自己理解(セラピー)
カウンセリング(アドバイス)
なるほど
セラピーは自らを掘る作業が必要なんだね。
一人で掘ってたら地上に戻れない。
でも
セラピストと一緒なら
掘るべき場所もわかるし
地上に戻って掘った穴を見ることもできる
つまり問題解決は1人では無理。他者が必要。
それなら
自己解決って言葉は
人の悩みに無関心な人が作った
都合のいい言葉なのかも知れないなぁ
自己理解より、自己解決のほうが聞く機会多い
世の中って世知辛い。
以前読んだ海外セラピー本
●軽い気持ちでセラピー受けてみたいなって思うじゃないですか。で、検索してみてください。検索結果が全体的に怪しさ満点なんですよね。ほわっとした得体の知れない団体のセラピーじゃなくて、この本の主人公のようにゴリゴリのキャリアの方にセラピーお願いしたい時ってどうすれば良いんでしょうね。え、精神科行けばいいの?いや、もっとラフなのでいいんだけどな。