今日はどーでもイイ、僕の夏の話(笑)
≪僕の少年時代の夏≫
少年時代は宿題が苦手で、宿題は溜めておいて、始業式一週間前から一気に…というパターンでした(笑)
山積みされた宿題をどこかで意識しつつ、今一つ弾けられない微妙な夏を懲りずに何年も…(笑)
今ならネットで…(笑) 友人と手分けしてメールでやり取りして…なんて楽が出来るのに
…そういえばテストも、高校生になっても中間テストは駄目で、期末テストや全国模試で帳尻を合わせてたなぁ(笑)
スロー・スターターでした(笑)
そういえば、高校に入った時、授業中も英語は全て筆記体で黒板に書かれる事になって…
勝手に、筆記体なんて大人になったら絶対に使わないし、要らん!!!と
否定していた僕は、全く授業についていけなくて、一学期は英語全滅で最悪の出だしでした…
≪だって、アメリカ人だって新聞や本はタイプライターで打たれた活字だし、手紙書く時には必要かもしれんが、それも将来的には普通にタイプライターが手軽になったりするはず!!!
筆記体を学ぶより、コミュニケーションの為の英会話の方が大事とちゃうんか!!!!≫
…という自説を展開していた僕(笑)
しかし、現実は無情で…
テストの問題も筆記体で書かれる事になり…
僕は出された問題そのものを解読して理解するだけで手一杯で…
テストもヘッタクレもなかった(笑)
高校でやるテスト(筆記体で書かれた問題)は最悪なのに、全国模試(印刷されたブロック体の活字)などは普通に良かったので、先生に不思議がられてました…
高校生にもなって筆記体が書けない、読めないとは言えなかった(笑)
…大人になって…
最近アメリカのニュースを見たら…
今はアメリカでもメールでのやり取りが主流なので…
筆記体を使わない、使えないという人が多いのだとか
なので、文化的な財産として遺そうという運動さえあるのだとか…(笑)
…確かに、メールに筆記体は要らん…
この先、ますます要らん(笑)
過去の僕の予言は当たっていたではないか
…ああっ、授業やテストの為に、普通の人より3年も遅れて必死に筆記体を勉強した自分に絶望したーーーーー by絶望先生
日本の学校でも現状を踏まえ、授業中も筆記体は使用しなくなってきたのだとか…
…ああっ、だから言ったのに(笑)
思い出す、あの夏の苦労…(笑)
≪かぶと虫≫
田舎でしたから、普通に朝起きて山に行くと沢山いました(笑)
夜、部屋に飛んできたり…
井上陽水さんの≪少年時代≫や≪トトロ≫のよーな、緑色がまぶしい、のどかな夏でした
川のせせらぎ…
蝉の声…
少年野球の掛け声…
夕立の後の鮮やかすぎる虹…
手が届きそうなくらいに降り注ぐ星空…
≪メロンとスイカととうもろこし≫
この話をすると都会の人には大抵嫌われますが…
実は、実家の隣がメロン、スイカ園だったので…
熊本は有名な産地なのです(笑)
農家の人が、うちの庭先をショートカットする代わりに、軒先にいつもメロンやスイカがお礼として置いてあって…
それを普通に毎日食べてて…何年もそれが続いたら食べ飽きて、大人になった今でもスイカやメロンが苦手です…(笑)
どんなに高級品と言われても…食べ飽きてるので(笑)
高山さんに話したらマジで『病気の時か、特別な時しか食べられないんだよっ!!!…普通に食べちゃいけないんだよ!!!』・・・って叱られた
あんまりだぁ~
とうもろこしは…学校の先生なのに庭を農地化した父親が
トウモロコシ畑にしてました
生きたければ勝手に食べろ…という事だったらしい(笑)
放任主義というより、たらい回しにされたり、完全に放置されてた子供時代…
だから、生きるためにお腹が減ると食べてました…(笑)
メロンやスイカといい、贅沢なよーな、サバイバルなよーな、変な夏だった
≪ゴロンゴロン≫
川で流されて死にかけた事か2回あります(笑)
チッ
…ヲィ!!
進学校だったのに、お構いなしに夏を楽しもうと友人達と4人で川に繰り出し…
ゴムボートで水遊び…
3人でゴムボートに乗って1人は泳いで…
すると知らないうちに滝の近くに着てしまって、…あっと思ったらボートごと転落…
岩場にいた一人が必死に手を伸ばす瞬間…
スローに時間が流れ…指先が触れそうな所で…
ああっという感じで転落(笑)
落ちてゆく瞬間、岩場にいた一人も僕らを追いかけるように・・・
しかし、友人がゴロンゴロンと転がって落ちてくるのが妙におかしくて…
死ぬのかもしれないと思いながらも、水の中でクスクス笑っていた気がします…
…皆、無事でしたが、しっかり反省会をやりました(笑)
今、皆は…お役人、エリート中学の教師、有名な陶芸家になっています(笑)
生きてて良かったね
≪舞台、ライヴ≫
東京での夏は、舞台とライヴの記憶が鮮明です
19歳の僕が書いた脚本で、当時人気声優だった人達と東京で舞台をやったり、シェークスピアの劇団に参加して山形や甲府で公演したり…
ニュースも取材に来てた
僕が色んな声優さん達や事務所に縁があるのはこの時からです
その後はライヴ時代…
演劇時代とは違うメンバーでしたが、やはり声優さん達に手伝ってもらってました。
ネットで活動したり、事務所のサポートがある今とは違い、やりたい事は自分で切り開くしかない時代でしたから…
皆、意欲的で野心的で面白かったです
今は誰もが知る凄く有名な面子ですが…
当時の僕は機材の方を大切にしていました(笑)
≪お前らの代わりはいるが、機材の代わりはない!!!≫
そんな無慈悲で非情な僕を皆は畏怖し≪カイザー≫と呼んでいました(笑)
…ま、毎回、居酒屋やカラオケで朝までたかられてましたから、実際に被害に遭ってたのは僕の方ですが(笑)
お金も持たずに東京駅で待ち伏せて…
高山さんにくっついて大阪までついてきたり…
ライヴ会場の備品を壊したり…ホテルでも大騒ぎ…
食事と部屋代と旅費…膨大な散在でした
でも、宣伝してくると言って、看板作って朝4時からズーム・イン朝の現場に映りに行ったり…
大阪でも客を集めてくると言って凄い数の女性達をナンパしてきたり…
今思うとムチャクチャばかりで楽しかったです
東京でライヴが終わった翌日、ボロボロになってる高山さんと真夏の午後に、なぜかラーメン食べたいという事になり…
ボロボロで、朝まで打ち上げして、シャワーも浴びてないのに
二人で炎天下の中をラーメン屋を探して彷徨った事があります…(笑)
夏にラーメンだし(笑)
もはや何かがマヒしていたのかも(笑)
行き当たりばったりの行動だったので、≪ここは美味しそうじゃないから却下≫とか、ひたすら、探して…3時間…
途中で何をしてるのか分からなくなり…行き倒れそうになり…
そしてようやく辿り着いた、美味しそうなラーメン屋さん…
見つけた瞬間、二人で、何だか泣きたいような気持ちになり…
言葉もなく、そっと入った二人・・・
ワケも分からず何かに感動していた(笑)
そして心待ちに食べた瞬間…
≪永野氏、ここ、まずいよ!!!≫
…あの時は確かに死んだ(笑)
色んな意味で死んだ…
≪…で、今は…≫
生意気な扶養家族につつかれながら散歩の夏(笑)