https://cnt.kingrecords.co.jp/two-mix25th/

 

 

以前投稿したものですが
情報解禁になりましたので、改めて...。



いつの頃からか手軽なTwitterがメインになり
このブログに書くのは久々で...
なかなかログインできなくて焦りました(^^;)

Twitterに書くにはちょっと長くなりそうでしたので
こちらに書く事にしました<(_ _)>


この4月29日にアーティストデビュー25周年を迎える事になりました。

応援して下さる沢山の方々に支えられて この日を迎える事が出来ました。

音楽を創るアーティストとして その存在や作品が認められ
愛され続ける事は 最高の幸せであり、生きた証だと思っています。

本当に ありがとうございます 心から感謝致します。


制作に追われ続ける中で、突然の移籍による
環境の変化も重なり、元々病気がちだった体調への負担や
ストレスの増加によって心身共に限界に来て
音楽制作を行う事が難しくなり、音楽を普通に聴く事にさえ
苦痛を感じるようになってしまいました。

そして、それまで無理なスケジュールを背負わせて
負担の大きかった高山さんの為にも
レコード会社との契約期間の終了を機に
マイペースでやっていこうとインディーズに活動を移し
不定期活動にしてきました。
 

ただ、その後も僕の体調が悪化し続けてリンパ腫で手術したり

バセドオ病を患ってしまった為に、本当にスローな活動になってしまいました。
 

バセドオ病に関してはインディーズ活動に入る何年も前から
悪影響があったのですが、ストレスの多い日々でしたので
その疲れでイライラしていたり、疲労感も多いのだろうと楽観視して感情の乱れの不自然さを感じても、うつ病の傾向かもしれないと思って、病院に一度行ったきりでした。

結局、うつ病ではなかった為に、どこか安心して
極度の疲労感に襲われて動けなくなるまで安静にするだけで対処はしませんでした。

少しずつ悪化していた事で、異変を自覚するのが遅くなってしまい
重症化してしまって、外出する事さえ困難になってから
再び病院に行きました。


今は完治まではしていませんが定期的に検査に行く程度で
影響はなくなりました。
疲れてくると後遺症で喉に嫌な違和感を感じる程度です。

ただ、偏頭痛や胃痙攣、胃潰瘍など、元々あった持病が今も続いている為、今一つ体調に自信が持てていませんが(ーー;)

 

 実は、何曲かインディーズで発売した後、アルバムを出しませんか?というメジャー復帰へのお話を他のレコード会社から頂いた事があります。

当時は闘病中で体力や集中力が持たない事や
その影響なのか人間関係に接する事に臆病になっていたり
外出出来るようになっても、億劫に感じるようになっていた為
お断りしました。
申し訳なかったと思っています<(_ _)>


日々闘病は楽になっていっても、次々と色んな体調不良に襲われて楽曲を作ってもそこから次のステップに...という気力も
次第に持たなくなって、不定期で、マイペースで、...と言いながらも自分の中では選択肢や可能性の幅もどんどん狭くなって
不定期過ぎる不定期になってしまいました。


高山さんにもかなり心配させてしまっていましたので
中途半端な事では高山さんにも申し訳ないですし
一人でコツコツと新作を創作したり、過去作をリアレンジしながらも
何をどう整えれば良いのか、どうすれば自身が前に進めるのだろう?と悩みつつ過ごしていました。



そんな折、SNS上で偶然知り合った人がいて
その人が一番辛い時期にTWO-MIXを聴いて励まされたという話を聴かされました。

また、その人はキングレコードで僕達が所属していた邦楽セクションで働いている事を知らされて一層驚きました。
 

僕達の音楽が、こうして誰かの人生に繋がっているんだなって改めて思いました。
そして、ちゃんと誰かの心に届いていんだという事も
改めて実感して嬉しく思いました。


それまで、色んな人達からそういう話を聴く機会があり
その都度、感動したりしていましたが
実際に会って、何度も本人から熱く長々と勢いよく話をされたのは初めてで圧倒されました(笑)

高山さんも、その人に会った時に圧倒されたらしいです(笑)

...O澤さん、あの高山さんを圧倒するなんて凄いです<(_ _)>

入社したのは僕達が去った後という事でしたが
懐かしくて、そこからメッセージのやり取りをするようになり

年に何度か会うようになって、当時のスタッフにも会いに行ったりするようにもなりました。

別の業界の人達や、クリエーターさん達を友人として紹介されたりする事もあって、新しく輪が広がり、こんなに誰かと楽しく話をしたのは何年ぶりだろう?...と、ずっと苦痛になっていたコミュニケーションが負担ではなくなっていきました。
 

当時、望んで移籍した訳ではなかったけれど
それでも申し訳無さや敷居の高さをずっと感じていましたので
キングレコードに挨拶に行った時にスタッフの皆さんに
暖かく迎え入れられた事に驚き心から嬉しく感じました。

それからはキングレコードのイベントやコンサートにも誘って頂いたり、気軽に遊びに行けるようにもなりました。


そうやって穏やかな創作活動に専念する日々の中でも
胃痙攣や胃潰瘍や偏頭痛で苦しんだり寝込む日もあり
体調的にあと何年、創作活動が出来るだろう?という事さえ漠然と考えるようになりました。


そんな中で節目である25thの話題が自然に出るようになって...
考えてみたら、10周年も15周年も20周年も何もしてなかったなぁと思い、周年行事に興味が湧きました。

友人として知り合ったキングレコードのスタッフO澤さんにも
25thには絶対何かやりたいです!...と背中を押されて

何かをやるなら、まずは、過去の楽曲全てを再発売したり
全曲配信したり、ハイレゾ化したいという事や、誰にも分かりやすい歴史...。

各レコード会社からインディーズまでのTWO-MIXのヒストリーを
一つにまとめてアルバムとして形にしたい...と思うようになり


それを始まりの場所であるキングレコードに遺したいと思うようになりました。


応援してくれた人達の為にも、ずっと心配してくれている高山さんの為にも。

今の自分に何が出来るだろう?何かを形にするなら、ここから始めたい...と。


そうやって5年前にTWO-MIX 25thを企画にしようという準備が
私的にコソコソとスタートして、昨年、公式にレコード会社から決定事項とされました(#^.^#)

始まりの場所であるキングレコードに帰着。
 

僕自身、25thを目標にする事で希望を持ち
モチベーションを維持する事が出来るようになり
一歩は無理でも半歩でも...と体調不良の中でもコツコツと積み重ねていく事が出来るようになりました。
 

母の死も、友人達の死も、親しかった人達の死も
そして14年間いつも隣で音楽を聴いてくれてた愛犬達の死も
孤独感や寂寥感となって重くのしかかってきたり
様々な病気に苦しんだり不安を感じたり、無気力に襲われたりする日もあります。


それでも絶対、前向きでいようと思っています。

まだ自分には、生きて、そしてやれる事があるのだから...と。


出逢いと別れを繰り返しながら、哀しみや苦しみを乗り越えなが
ら、今を生きています。
 

現在も様々な体調不良に襲われますが、それでも今日を生きていられる事を素直に嬉しいと思えたり
音楽を創り出せたり、それを聴いて下さる人達がいるのだという
実感が心と身体を支えてくれています。
 

この瞬間も、やがて、かけがえのない記憶になる...と、そう信じています。
 

不器用に生きて、3倍遅くてもコツコツと頑張れてます(#^.^#)


ここからは僕だけではなく、TWO-MIXを愛してくれたレコード会社の方達や協力して下さる音楽出版社の方達...


そして何よりも応援し続けてくれていたファンの皆さんと一緒に25thを作り上げていけるのですから(^.^)/
 

デビュー当時、一緒に頑張ってくれていたレコ―ド会社スタッフとも再会し、このプロジェクトに参加してくれました。
撮影スタッフも再集合。

こういう時期ですし何が出来るか、何を形に出来るか今もよく分かりません。
 

でも、一日一歩でも半歩でも前に...と思いながら生きてきましたし
これからもそうするつもりです。

25thロゴもレコード会社と楽しくやり取りしながらく作り上げて頂きましたし
音楽出版社さんも企画に全面的に応援して下っていますし
一人では出来ない事をこうして形にしていける事に深く感謝しています。

待っていてくれる高山さんの為にも
相応しい場所を用意したいと思っています。

そして、ここからはファンの皆さんと...

是非、一緒に(^.^)/

TWO-MIXはデビュー当時からメディアには殆ど露出せずに
音楽を通して皆さんと触れ合ってきました。
皆さんがいて、そして僕達がいました。


音楽だけを繋がりとしながらも、ファンの皆さんとの絆を信じてきました。支えられてきました。

これまで、本当ありがとうございました。
改めて心から...。ありがとうね。

そしてこれからも宜しくお願い致します<(_ _)>


 

最後に一言...

.
『TWO-MIX、聴いてみませんか?』
 

https://twitter.com/TWO_MIX25th

 

 


永野椎菜



いつの頃からか手軽なTwitterがメインになり
このブログに書くのは久々で...
なかなかログインできなくて焦りました(^^;)

 
Twitterに書くにはちょっと長くなりそうでしたので
こちらに書く事にしました<(_ _)>

この4月29日にアーティストデビュー25周年を迎える事になりました。

応援して下さる沢山の方々に支えられて この日を迎える事が出来ました。

音楽を創るアーティストとして その存在や作品が認められ
愛され続ける事は 最高の幸せであり、生きた証だと思っています。
本当に ありがとうございます 心から感謝致します。

制作に追われ続ける中で、突然の移籍による
環境の変化も重なり、元々病気がちだった体調への負担や
ストレスの増加によって、適応障害となり
心身共に限界に来て
音楽制作を行う事が難しくなり、音楽を普通に聴く事にさえ
苦痛を感じるようになってしまいました。

そして、それまで無理なスケジュールを背負わせて
負担の大きかった高山さんの為にも
レコード会社との契約期間の終了を機に
マイペースでやっていこうとインディーズに活動を移し
不定期活動にしてきました。

 
ただ、その後も僕の体調が悪化し続けてリンパ腫で手術したり
バセドオ病を患ってしまった為に、本当にスローな活動になってしまいました。
 
バセドオ病に関してはインディーズ活動に入る何年も前から
悪影響があったのですが、ストレスの多い日々でしたので
その疲れでイライラしていたり、
疲労感も多いのだろうと楽観視して感情の乱れの不自然さを感じても
適応障害の再発やうつ病の傾向かもしれないと思って、病院に一度行ったきりでした。

結局、うつ病等ではなかった為に、どこか安心して
極度の疲労感に襲われて動けなくなるまで安静にするだけで対処はしませんでした。

少しずつ悪化していた事で、異変を自覚するのが遅くなってしまい
重症化してしまって、外出する事さえ困難になってから
再び病院に行きました。

今は完治まではしていませんが定期的に検査に行く程度で
影響はなくなりました。
疲れてくると後遺症で喉に嫌な違和感を感じる程度です。

ただ、偏頭痛や胃痙攣、胃潰瘍など、元々あった持病が今も続いている為、今一つ体調に自信が持てていませんが(ーー;)


 
 実は、何曲かインディーズで発売した後、アルバムを出しませんか?というメジャー復帰へのお話を他のレコード会社から頂いた事があります。

当時は闘病中で体力や集中力が持たない事や
その影響なのか人間関係に接する事に臆病になっていたり
外出出来るようになっても、億劫に感じるようになっていた為
お断りしました。
申し訳なかったと思っています<(_ _)>

日々闘病は楽になっていっても、次々と色んな体調不良に襲われて楽曲を作ってもそこから次のステップに...という気力も
次第に持たなくなって、不定期で、マイペースで、...と言いながらも自分の中では選択肢や可能性の幅もどんどん狭くなって
不定期過ぎる不定期になってしまいました。

高山さんにもかなり心配させてしまっていましたので
中途半端な事では高山さんにも申し訳ないですし
一人でコツコツと新作を創作したり、過去作をリアレンジしながらも
何をどう整えれば良いのか、どうすれば自身が前に進めるのだろう?と悩みつつ過ごしていました。


そんな折、SNS上で偶然知り合った人がいて
その人が一番辛い時期にTWO-MIXを聴いて励まされたという話を聴かされました。

また、その人はキングレコードで僕達が所属していた邦楽セクションで働いている事を知らされて一層驚きました。

 
僕達の音楽が、こうして誰かの人生に繋がっているんだなって改めて思いました。
そして、ちゃんと誰かの心に届いていんだという事も
改めて実感して嬉しく思いました。

それまで、色んな人達からそういう話を聴く機会があり
その都度、感動したりしていましたが
実際に会って、何度も本人から熱く長々と勢いよく話をされたのは初めてで圧倒されました(笑)

高山さんも、その人に会った時に圧倒されたらしいです(笑)

...O澤さん、あの高山さんを圧倒するなんて凄いです<(_ _)>


入社したのは僕達が去った後という事でしたが
懐かしくて、
そこからメッセージのやり取りをするようになり
年に何度か会うようになって、当時のスタッフにも会いに行ったりするようにもなりました。

別の業界の人達や、クリエーターさん達を友人として紹介されたりする事もあって、新しく輪が広がり、こんなに誰かと楽しく話をしたのは何年ぶりだろう?...と、ずっと苦痛になっていたコミュニケーションが負担ではなくなっていきました。

 
当時、望んで移籍した訳ではなかったけれど
それでも申し訳無さや敷居の高さをずっと感じていましたので
キングレコードに挨拶に行った時にスタッフの皆さんに
暖かく迎え入れられた事に驚き心から嬉しく感じました。

それからはキングレコードのイベントやコンサートにも誘って頂いたり、気軽に遊びに行けるようにもなりました。

そうやって穏やかな創作活動に専念する日々の中でも
胃痙攣や胃潰瘍や偏頭痛で苦しんだり寝込む日もあり
体調的にあと何年、創作活動が出来るだろう?という事さえ漠然と考えるようになりました。

そんな中で節目である25thの話題が自然に出るようになって...
考えてみたら、10周年も15周年も20周年も何もしてなかったなぁと思い、周年行事に興味が湧きました。

友人として知り合ったキングレコードのスタッフO澤さんにも
25thには絶対何かやりたいです!...と背中を押されて

何かをやるなら、まずは、過去の楽曲全てを再発売したり、全曲、ハイレゾ化したいという事や、誰にも分かりやすい歴史
各レコード会社からインディーズまでのTWO-MIXのヒストリーを
一つにまとめて
アルバムとして形にしたい...と思うようになり

それを始まりの場所であるキングレコードに遺したいと思うようになりました。

応援してくれた人達の為にも、ずっと心配してくれている高山さんの為にも。

今の自分に何が出来るだろう?何かを形にするなら、ここから始めたい...と。

そうやって5年前にTWO-MIX 25thを企画にしようという準備が
私的にコソコソとスタートして、昨年、公式にレコード会社から決定事項とされました(#^.^#)

 
僕自身、25thを目標にする事で希望を持ち
モチベーションを維持する事が出来るようになり
一歩は無理でも半歩でも...と体調不良の中でもコツコツと積み重ねていく事が出来るようになりました。

 
母の死も、友人達の死も、親しかった人達の死も
そして14年間いつも隣で音楽を聴いてくれてた愛犬達の死も
孤独感や寂寥感となって重くのしかかってきたり
様々な病気に苦しんだり不安を感じたり、無気力に襲われたりする日もあります。

それでも絶対、前向きでいようと思っています。

まだ自分には、生きて、そしてやれる事があるのだから...と。

出逢いと別れを繰り返しながら、哀しみや苦しみを乗り越えなが
ら、今を生きています。

 
現在も様々な体調不良に襲われますが、それでも今日を生きていられる事を素直に嬉しいと思えたり
音楽を創り出せたり、それを聴いて下さる人達がいるのだという
実感が心と身体を支えてくれています。

 
この瞬間も、やがて、かけがえのない記憶になる...と、そう信じています。
 
不器用に生きて、3倍遅くてもコツコツと頑張れてます(#^.^#)

ここからは僕だけではなく、TWO-MIXを愛してくれたレコード会社の方達や協力して下さる音楽出版社の方達...

そして何よりも応援し続けてくれていたファンの皆さんと一緒に25thを作り上げていけるのですから(^.^)/

こういう時期ですし何が出来るか、何を形に出来るか今もよく分かりません。
 
でも、一日一歩でも半歩でも前に...と思いながら生きてきましたし
これからもそうするつもりです。

25thロゴもレコード会社と楽しくやり取りしながらく作り上げて頂きましたし、音楽出版社さんも企画に全面的に応援して下っていますし、一人では出来ない事をこうして形にしていける事に
深く感謝しています。

そして、ここからはファンの皆さんと...

是非、一緒に(^.^)/

 

これまで、本当ありがとうございました。
そしてこれからも宜しくお願い致します<(_ _)>



 
最後に一言...
.
『TWO-MIX、聴いてみませんか?』

 

https://twitter.com/TWO_MIX25th

https://www.youtube.com/watch?v=55e1maKr_q4

 


永野椎菜

今年は色んな事があった一年でした。



体調的にも精神的にも苦しく哀しい事が続きましたが



こうして大晦日を迎える事が出来ました。




ご心配をお掛けして本当にすみませんでした。
そして、励まして下さって本当にありがとうございました。



愛犬ムッシュは、水も受けつけなくなって昏睡し、危篤状態になり
沢山感謝して、沢山謝って、沢山想い出を語って、明るく最期のお別れをしましたが...


8日目から奇跡的に息を吹き返し、やがて、少しずつですが、回復へと向い始めました。
ココもムッシュが昏睡して以来、何も食べず、グッタリしていましたが



ムッシュが回復に向かい始めた途端、パクパクと食べ始めて元気になりました。


3人で3回も最期の別れを済ませたのに
本当に奇跡的で、天国から引き返してきちゃった気がしました。



あまりにコント的で、泣きながら笑いました。


10日を過ぎた頃から、体を起こしたり、立ち上がろうとしたり、食事をしたがるようになってきています。


すでに寿命を迎えた老犬ですし、これが一時的なものなのか
あとどれだけ時間があるのか分かりませんが



本人が安らかに天国に行くまでは24時間、一緒にいてあげたいと思っています。

もう充分に泣いて、笑いましたから。



穏やかに三人で過ごしたいと思ってます。



僕も4日ほど何も食べられなくてフラフラしましたが
覚悟が出来てからは、食事もするようにして、頑張ることが出来ました。


今は、ペースも出来てきて、24時間看護にも慣れました。


ムッシュを膝に乗せて寝かせながら
制作も開始しました。




そうする事が僕達には自然な事で、そして日課でしたから...

生活は一変しましたが、いつもの自分に戻ってきました。


生命力って凄いですね。儚くても、意思を持って生きようとする姿に何度も心を打たれました。




しんどい一年でしたが、穏やかな大晦日の午後を過ごすことが出来て
今はホッとしています。




これからも悔いのないように、一日一日、僕もひたむきに生きていきたいと思います。




やりたい事、必要とされ、望まれる事がある限り、前向きに一段一段、登っていきたいと思います。




明日、皆さんに向けて、僕からの感謝の気持ち、そしてこれからの希望を込めて
楽曲をお届けします。




ムッシュの看護、介護しながら、三銃士で少しずつ制作していった曲です。


全てのTWO-MIXファンに。





今年一年、本当にありがとうございました。




永野椎菜