気付けば10月突入。すっかり肌寒くなってきました^^;


取り組んでいたボトルもやっと終了。この期間なにがあったけ?と思い返してみようと思う。・・・が、よーく考えると珍しいことに今回のこのボトル2ヶ月近く使っていた。大体一ヶ月程で使い切るのになぜだろう?


前にも書いたけれど、精神的にしんどいことはなにもなかった。どっちかっていうとボトルを使う前にいろんな事でエネルギー負けしてしんどかったのを徐々に立て直すために使っていたようにも思う。使い出して新たなことに踏み出す話が舞い込んできたっけ。そしてしばらくは思考ではなく身体の声で動こうと決めてみたんだっけ。半分出来て半分出来てなかったような・・・。


踏み出すことに対して抵抗もしていて、それがみごとに身体にも出た。しかもすべて右足ばっか。右足は男性性・社会性。どんだけ現実逃避^^;ただその抵抗は両親に対してもあるし、母との癒着にもある。切り離されるようで踏み出せない。父の自由さとそれに我慢していた母を見ていて、自由とは誰かの犠牲の元にあるという刷り込みもあった。右足の状態が治ってくるとともに、いままで右足に重心があまりかからなかったのに、右足に力が入ってくる感じがある。なんとなく左右のバランスが以前より取れているようにも思う。


実はこのボトルを取り組んでいるときにヒーリングも受けた。その時に出てきたキーワードに「父の責任をあなたが背負う必要はない」「いろんなひとの想いをくみ取らなくてよい」「母の学びをあなたも学ばなくて良い」だった。これがちょうど右足の部分とタイムリーに重なり、とても腑に落ちた。


私はもしかすると母の学びを奪っていたのかもしれない。


ふっとそんなことを思ってみた。そもそも癒着ってなんだ?互いに潜在意識で引っ張り合っていたんじゃないか?それも互いが互いに申し訳ないという罪悪感という形で。


だからといってそこをどうしていくのか・・・というのはよく分からない。けど、この罪悪感っていうのはもういらないと思う。申し訳ないと思うことももう終わったことで手放してよいものなのに、人はやっぱりどこか自分を責めてしまうものなんだろう。もう、ここは手放してそれぞれの道を歩んで行く時期だ。


だからこそ、聞く話は共通しているのかもしれない。


いろんな意味で今回のボトルはわたしに染み込んでいる。表面的にはガツン!ときた訳ではないけれど、内側からじわじわと統合していくようなそんなボトル。(だからなのか使い終わる頃、ボトルはさりげに汗をかきまくっていたのだった^^;)


・それぞれがベストなタイミングであり、常に完璧な存在。

・みんなブクブク微生物。


このボトルワークの時に染み込んだ言葉。いまのわたしこのワードを思い返しています。


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